九十一
やがて、下から登って来た子供の一大隊を見ると、真中に隊長が一人、大きな男根(だんこん)の形をしたこしらえ物を、紅(べに)がらの粉で真赤に染めたのを中に押立てて、その周囲に揉(も)み合い、押し合っている。
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
そうして、今、揉み合い、押し合いながら、この悪女塚の教場の方へと押し上って来る。
しかし、まあ、本来が子供の遊戯に過ぎないのだから、ただ不意を打たれただけで、お婆さんも再び快く箸を執って、お蕎麦を食べつづけました。
「よく出来ましたねえ、このお蕎麦は。御遠慮なしにいただきますよ」
お婆さんは、三椀まで換えて、お蕎麦の御馳走になっているうちに、例の揉み合い、押し合いの子供たちは、もはや盛んな勢いで、与八の道場の前、悪女塚のところへ押し上り、溢(あふ)れ出して、そこで前よりはいっそう馬力をかけて、押し合い、へし合いしている。
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
それは、まさしく何か風俗行事のうちの一つであって、乱暴を働きに来たものでないことはわかっているが、熱狂しきっている子供の眼中には、もはや悪女塚の庭もなければ、与八の教場もない。
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
押し合い、へし合いしている、その前後左右に出没して、また別な頑童共が、割竹を持って地面(じべた)を打叩きながら、噺し立てている。それが風俗年中行事であり、子供らが習慣によって無邪気に熱狂しているのはいいとしても、心ある人に、目ざわりになるのは、その真中に押立てられたあれです。誰が、どう見ても、男根の形としか見えない大物を、紅がらでこてこてと真赤に塗り立て、それを真中に擁して一大隊の子供が、火水(ひみず)になれと揉み立てているのだから、目に立てないわけにはいかない。すべて、今までの接待に感心ずくめで通して来たお婆さんも、それを見ないわけにはいかない。与八もまたそれを見せないわけにはいかない。
ブチこわしだ! と、与八でなければ面(かお)の色を変えたでしょう。今まで子供たちの躾(しつけ)のいいことにすっかり感心させて置いたのが、これを見られてはブチ壊しになってしまう。せっかくのお客様の前へ、こういうものを担ぎ込まれたのでは、主人側としては、面から火が出るような思いをしなければならない。
それを与八は、別段、赤い面もせずに、へへらへへらと笑って見ていました。お婆さんは肝(きも)を潰(つぶ)しかけた形で、眼を円くしている。子供の一大隊は、
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
ついに与八の教場の眼の前まで来て、割竹を持ったものは、早くも土間の方へなだれ込み、ますます馬力をかけて、
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
九十二
この分でいると、教場内へ乱入し兼ねまじき勢いに見えましたけれど、与八は泰然自若として驚きませんでした。
お婆さんも一時呆(あき)れ返ったが、やがて穏かに自分の巾着(きんちゃく)を取り出して、
「さあ、お婆さんがどうろくさまへ差上げるよ」
と言って、小銭をバラ蒔(ま)いてやると、子供たちはそれを拾い取ると共に、潮の引くように引きあげて、揉み合い、へし合いながら、庭を下って下へおりて行くのです。
これは、ホンのその場限りの景物でありました。
それから右のお婆さんは、与八にお礼を言って、自分は信州飯田の者である、右のような次第でお富士さんへ参詣して来たが、これから故郷の信州飯田へ帰る、お前さんもどうか、そのうち都合して、ぜひ飯田まで遊びに来て下さい、飯田へ来て松下のお千代婆さんと言えば、直ぐわかる。
待っているから、ぜひ都合して遊びにおいでなさい――と懇(ねんごろ)にすすめました。
そこで与八も、どのみち末始終は旅に出づべき運命の身だと心得ているから、いつかお婆さんの故郷、信濃の国の飯田へ行ってみようという気にだけはなりました。
いざ出立という時に、与八は、
「わしも今日は竜王まで、ちょっくら用事があるから、一緒にお送り申しましょう」
かくて与八は、またも郁太郎を背負い、お婆さんと道づれになって、ある程度までお婆さんを見送りながら、自分は自分の用足しをして帰ろうという門出です。
お婆さんは、自分のかぶっていた菅笠(すげがさ)を、与八のためにと言って残した。その笠には、富士のお山のおしるしもあれば、お婆さんの故郷、信州飯田――池田町――松下千代と書いてある。
それをお婆さんの記念(かたみ)として受け納めた与八は、別に新しい笠を換えてお婆さんに贈り、そうして二人は、この教場を立ち出でました。天気が良くて、釜無川の沿岸から八ヶ岳の連峰が行手に聳(そび)えている。与八は歩きながら、お千代婆さんに向って述懐を試みる。
「うちの大旦那様が、今、上方(かみがた)へ向けて旅をしておいでなさる、上方見物という名代(なだい)だが、本当はたった一人の娘さんのことが心配になるのでしょう。その娘さんというのは、きかない気のお嬢様で、お父さんの大旦那ももてあまして、お嬢さまのなさるように好き自由にさせてお置きなさる。こんど近江の国の胆吹山(いぶきやま)というところの下へ、そのお嬢様が広大な地面を自分でお買いなすってね、そこへ一つの国をこしらえるんだそうです、何をしでかしなさるのかわからない。こちらの大旦那という方も、実はお気の毒な方なので、この通り甲州第一等の身上でおあんなさるのに、御家族運が悪くてね、たったひとり残ったお嬢様がその通りなんですから、お大抵の心配事ではございません。上方へおいでになっても、またそのお出先で、お嬢様と衝突がなければいいと、みんなそれを心配しているんでござんすよ。それで、実はわしも、お留守居の方を番頭さんにお任せ申して、胆吹山へ行ってみようかと思っているところです。そうしたらその途中、お婆さんのところへおたずね致しましょう」
九十三
ややあって、お婆さんは急に思い出したように、
「ああ、それそれ、わたしは、すっかり忘れていた、今日は、だいに様のお墓参りをする約束であったのに」
と言って、改まって与八に問いかけたのは、
「若衆(わかいしゅ)さん、お前さん、済みませんが、ちょっと、だいに様のお墓まで案内をして下さい、頼みます」
「だいに様とおっしゃるのは?」
「だいに様――有名なお方ですよ、ここから遠くないところにお墓があるはずです、お前さん、そこへわたしをちょっと案内して下さい」
「だいに様――わしゃ、そういうお方を存じませんが」
与八は、真に当惑面で答えました。お婆さんから突然に、だいに様、だいに様と問われても、いっこう自分には心当りがないので、お婆さんだけが、ひとりのみ込みであるとは思うが、しかし、他国から来た人がこうして、だいに様、だいに様と無造作(むぞうさ)に問いかけるところを以て見れば、あまねく世間が知っている名前に相違ない。ところが与八は一向それを知らない。
人が知っていて、与八が知らないことは、だいに様に限ったことはない。現に木喰五行上人(もくじきごぎょうしょうにん)のことなども、与八はいっこう知らない間に人が知らせてくれた。自分は武蔵の国から出て来て、いま隣国の甲斐の国にいることだけは知っている。甲斐の国へ来て知っている人といえば、自分の身辺に触れて来た人のほかには、古いところで武田信玄公――そのほかには、ちょっと与八の頭では思い出せない。思い出せば水晶ぐらいのものです。
そこで、だいに様のお墓といって、お婆さんから先刻御承知のもののように尋ねられて、つかえてしまったのは是非もないので、まことに済まない面をして与八が次の如く申しわけをしました。
「わしは、この土地の生れでねえんでございますから、何も存じません、親類身よりもこの土地にはねえんですからねえ」
「いや、お前さんの親類とは言いません、だいに様をお前さんは御存じないかね、困ったものだ、では誰ぞ、その辺の人に聞いてみましょう」
田の畔(あぜ)を通る村人二三人を呼び止めて、お婆さんが同じように問いかけました。
「だいに様のお墓は、どちらですね」
これに対する返答は、ほぼ与八同様のものでありました。
いずれもお婆さんがひとり合点で、だいに様、だいに様と呼びかけるのに、問われた方は怪訝(けげん)な面をして、ぐっと返答にさし詰ってしまうのです。与八は他国者だから、それを知らないにしても、正銘の土地の者が、二人、三人、みんな当惑して、きょとんとした眼でお婆さんを見る。
ちょうど、四人目に田を起している老人をつかまえた時に、その人だけがやっと眉を開いて、
「ああ、だいに様、山県大弐様(やまがただいにさま)のお墓でごいすかい。そりゃ近いところでごいすよ、あの大きな竹藪(たけやぶ)を目あてにおいでなすって、あの藪の中にごいすよ、ちょっとわかりますめえが、崩れた塔婆があるにはありやすよ――まあ、あのでかい藪の中を探してごらんなさって」
と教えてくれたので、お婆さんは喜んでその教えられた方の大竹欒(だいちくらん)をめざして進んで行くから、与八もそれに従わないわけにはゆきません。
九十四
お婆さんが、ひとり呑込みで、だいに様、だいに様と口走っていたその人の本名は、「山県大弐」という名前であることだけはわかりました。だいに様、だいに様と言わないで、本名の山県大弐を呼びさえすれば、土地の物識(ものし)りは知っているということもわかりました。
田圃(たんぼ)の間をずんずんと進んで行くと、ほどなくその大竹藪まで来ました。別に囲いもないが、さりとて、どこに道がついているのかわからない。それをお婆さんは見つくろって、怖れ気もなく中へ入って行くのです。与八も何が何だかわからないながら、つい、お婆さんに露払いをさせてしまって、若い自分がそれに追従しなければならなくなったのは、お婆さんその人は、たずねる墓の主をよく心得ているが、自分はいっこう知らない。これほどにして熱心にお婆さんがたずねるくらいだから、お婆さんの血筋に近い人でもあるのだろう。
自分には何の関係もないのだから、どうも先走る気になれないのです。
しかし、なかなか大きな竹藪に入り込んだのですから、どこがどうか、入って見ていよいよわからなくなる。往手(ゆくて)は枯枝や、蜘蛛(くも)の巣、それに足許に竹の切口や、木の株や、凹みなどもあって、危ない。ほとんど昼なお暗い、八幡(やわた)知らずの藪のようになって、さしものお婆さんも少しひるんでいる。その時に与八がさきへ出て、
「お婆さん、この竹藪を突切って、一度むこうの竜王の土堤へ出て見ようじゃありませんか、土堤へ出て向うで聞いてみたら、知っている人があるかもしれませんよ」
「そうしましょうかね」
お婆さんも少々我(が)を折って、二人は一応その竹藪を突切って、あちらの土堤へ出ようということになりました。
しかし、土堤へ出るつもりで竹藪を突切ってみたが、意外にも土堤へは出ないで、グッと田圃の眺望の開けたところへ出てしまったが、その途端に、
「あっ!」
二人の目を射たものは、真上に仰ぐ富士の高嶺(たかね)の姿でありました。雪を被(かぶ)って、不意に前面から圧倒的に、しかも温顔をもって現われた富士の姿を見ると、お婆さんは真先にへたへたとそこに跪(ひざまず)いて、伏し拝んでしまいました。与八は土下座こそしなかったが、思わず両手を胸に合わせ拝む気になりました。
甲斐の国にいて富士を眺めることは、座敷にいて床の間の掛物を見るのと同じようなものですが、大竹藪を突抜けて来て、思いがけない時にその姿を前面から圧倒的に仰がせられたために、二人が打たれてしまったのでしょう。
お婆さんが山岳の感激から醒(さ)めて立ち上った時に、程近い藪の中から、真白い煙が起り、そこで人声がしましたものですから、とりあえずそちらの方へ行ってみることにしながら、お婆さんは、富士の姿を振仰いでは拝み、振仰いでは拝みして行くうちに、与八は早くもその白い煙の起ったところと、人の声のしたところへ行き着いて見ると、そこには数人の人があって、ていねいにお墓の前を掃除をし、その指図しているところの、極めて人品のよろしい老人が一人立っている。
「あれが大弐様(だいにさま)のお墓だよ」
「そうでしたかね」
「徳大寺様も来ていらっしゃる」
九十五
富士を拝み拝み、たどり着いたお婆さんは、この人品のよい老人を見ると、恭(うやうや)しく頭を下げ、
「これはこれは徳大寺様――」
徳大寺様と言われた極めて人品のよい老人は、頭に宗匠頭巾(そうしょうずきん)のようなものをいただき、身には十徳(じっとく)を着ていましたが、侍が一人ついて、村人らしいのを二人ばかり連れて来て、お墓の掃除をさせている。
「これは女高山のお婆さん、待兼ねておりました」
と、徳大寺様がお婆さんに気軽く応対をしました。
「途中、道よりをしておりましてね、遅くなりまして相済みません、ここがそのだいに様のお墓所でございますか」
とお婆さんが、遅刻のお詫(わ)びをしながら尋ねると、人品の極めてよい老人が頷(うなず)いて、
「ああ、ここが山県大弐の墓なのだ、この通り荒れ果てて、見る影もなくなっているから、いま掃除をしてもらっているところだよ」
「それはそれは、ではひとつ、御回向(ごえこう)を願いましょうか」
掃除もあらかた済んだ時分に、徳大寺様が香花を手向(たむ)けると、お婆さんが水をそそいで、懇(ねんご)ろにそのお墓をとぶらいましたから、続いて、徳大寺様附きのお侍と、与八と、それから掃除に来た二人の百姓たちとが、手を合わせました。
「与八さん、お前、どこへお行きなさる」
礼拝が済んでから、与八に言葉をかけたのは、お墓の掃除に頼まれて来た牛久保の富作というお百姓でした。
与八も見知り越しであり、その子供を世話してやっている。そこで答えました、
「このお婆さんをお送り申しながら、ちょっと竜王まで用足しに参りました」
「そうですか、どうもいつも餓鬼共がお世話にばっかりなりまして」
「どういたしまして」
「それにまた、この節はお湯が開けて、与八さんもいよいよ忙しいでしょうね、功徳(くどく)になっていいことですよ、人助けになりますよ」
「はいはい」
「大旦那様は旅においでになったそうですねえ」
「ええ」
「いつごろ、お帰りになりやすか」
「近いうちにお帰りになるでしょうが、たまのお出先のことだから、また、何か別な御用向が起るかも知れましねえ」
「与八さんが来てから、あのお屋敷へ光がさしたと、みんなが言ってますよ」
「どういたしまして」
こんな挨拶を交している間に、徳大寺様はじめ、お婆さん、お侍、みんなお墓に対して回向礼拝を終り、さてこれから、お婆さんは徳大寺様と一緒に、甲府へ行くということになりました。
与八としては、この竜王村への用事を兼ねてなのですから、ではこれでお暇(いとま)をしましょう――ということになって、お婆さんは与八に厚く礼を言った上に、
「与八さん、ちょっとこちらへいらっしゃい、このお方は、徳大寺様と申し上げて、畏(かしこ)くも天子様の御親類に当る身分の高いお方でいらっしゃいます――お目通りをしてお置きなさい」
と言って、徳大寺様へ向いては、
「何と珍しい心がけの、人相のよい若衆(わかいしゅ)ではございませんか、鳩ヶ谷の三志様にそっくりだと、わたしは見ているのでございます、お見知り置き下さいませよ」
と言って、二人を引合わせました。
九十六
かくて、徳大寺様、おつきの侍と、お婆さんとは、ここを立って甲府の方へ向けて、田圃道の間を歩み去りました。
そのあとを見送りながら、焚火にあたって与八は、村人二人と話しています。村人二人から話しかけられて、与八がその相手になっているのであります。
「与八さん、どうしてあの女高山のお婆さんを知ってるでえ」
「わしゃ、前から知っているというわけじゃありません、今日、お婆さんが、お湯に入りに来て、それから知合いになりました」
「では、知らねえ人だね」
「はい、信州の飯田というところのお婆さんで、お富士さんを信仰なさるのだということだけは聞きましたが」
「それは、それに違えねえが、なかなかエライお婆さんだよ」
と言って、富作がこのお婆さんの身の上を、よく与八に話して聞かせました。
松下千代女(すなわちお婆さんの本名)は信州飯田の池田町に住んでいる。鳩ヶ谷の三志様、すなわち富士講でいう小谷禄行(おたにろくぎょう)の教えを聞いてから、熱烈なる不二教の信者となり、既に四十年間、毎朝冷水を浴びて身を浄め、朝食のお菜(かず)としては素塩一匙(さじ)に限り、祁寒暑雨(きかんしょう)を厭(いと)わず、この教のために働き、夫が歿してから後は――真一文字にこの教のために一身を捧げて東奔西走している。その間に京都へ上って皇居を拝し、御所御礼をして宝祚万歳(ほうそばんざい)を祈ること二十一回、富士のお山に登って、頂上に御来光を拝して、天下泰平を祈願すること八度――五畿東海東山、武総常野の間、やすみなく往来して同志を結びつけ、忠孝節義を説き、放蕩無頼の徒を諭(さと)しては正道に向わしめ、波風の立つ一家を見ては、その不和合を解き、家々の子弟や召使を懇々(こんこん)と教え導き、また、台所生活にまで入って、薪炭の節約を教えたり、諸国遊説(ゆうぜい)の間に、各地の産業を視察して来て、農事の改良方法を伝えたりなどするものですから、「女高山」という異名を以て知られるようになっている。「女高山」というのは「女高山彦九郎」という意味の略称で、つまり、安政の勤王家高山彦九郎が単身で天下を往来したように、このお婆さんは、女の身で、単身諸国を往来して怖れない――その旅行ぶりが、彦九郎に似ている。また京都へ行って、御所御礼を怠らない勤王ぶりが、高山彦九郎にそっくりである。その、人を改過遷善に導く功徳と、利用厚生にまで人を益する働きは、むしろ本家の高山に過ぎたるものがある――
右のお婆さんという人は、右のような女傑である――ということの説明を、富作さんの口から聞いて、与八がなるほどと感心をさせられました。
してまた、一方の徳大寺様というのはいかに、これこそ、まことに貴い公家様(くげさま)でござって、女高山の婆さんは、エライといっても身分としては、信州飯田の一商家の女に過ぎないが、徳大寺様ときた日には、畏多(おそれおお)くも天子様の御親類筋で、身分の高いお公卿様でいらっしゃる。今は富士教に入って、教主の第九世をついでおいでになる。
ということを富作さんが、与八と、もう一人のお百姓にくわしく語って聞かせたところから、与八は、では、この山県大弐様もやっぱり富士講の仲間でいらっしゃるのか、とたずねると、富作さんが首を烈しく左右に振り、
「違う、全く違う――山県大弐様という人はな……」
九十七
牛久保の富作さんは言いました、
「山県大弐というのは、富士講の信者じゃねえです、あれは武田信玄公の身内で、有名な山県三郎兵衛の子孫でごいす、先祖の山県三郎兵衛は武田方で聞えた勇士だけれど、山県大弐はずっと後(おく)れて世に出たもんだから、戦争もなし、勇武で手柄を現わしたわけじゃねえのです、学問の方で大した人物でごいした、勤王方でしてね。今時、勤王といえば、上方の方の人のようにばっかり受取られるけれど、山県大弐様なんぞこそ、その勤王の魁(さきがけ)ですよ、今の勤王なんざあ、みんな大弐公のお弟子みたようなものでごいす。誰も勤王なんかと言わねえ先から勤王を唱えてな、日本の政治は天子様のお手元へお渡し申さなくちゃいかん――という説を唱えたもんだから、関東のお役人に睨(にら)まれて、とうとう首を斬られてしまっとうだ」
「えッ!」
首を斬られたと聞いて、聞いている者が驚きました。
そういうエライ人、有名な人で、他国の者までお墓へ参詣に来る、ことに徳大寺様といったような、天子様御親類筋に近い身分の方までが御参詣に来るくらいだから、よっぽどエライ人に違いないと思って、与八をはじめ聞いていたのに、その人が突然首を斬られたと聞いたものですから、聞いていた二人が、えッ! と言って眼を見合わせたので、富作さんも、世を憚(はばか)るように声を低くして語りつぎました、
「大弐様はエライ大学者でね、朝廷のお公卿様(くげさま)や、諸国のお大名方で、争って大弐様のお弟子になったちうことです。なんしろ大学者だから、諸子百家の学問から、医学に至るまで、学問という学問に通じておいでなすったが、ことに兵法軍学の方の大家でなあ、人の気づかない意見を述べたものだから、江戸の方のお役人から睨(にら)まれてい申した。ある時、本当にそういう御了見でもなかったでごいしょうが、兵法を講釈のついでに、江戸のお城を攻めるにはどうしたらいいか、どこからどう攻めれば落し易(やす)いとか、そういうことを例えに引いて話したのが悪かっただねえ、そればかりじゃねえ、諸国の地理のことも、裏から裏まで、ちゃんと頭の中にそらんじておいでなさるし、あの城には弓矢がどのくらいあって、鉄砲がどのくらいある、いざと言えば、何人の人が、いつどこへ集まる――ということまでちゃんと心得ておいでんさったのだから、将軍様も怖くなったのでごいしょう、こういう人物にもし勢(せい)がついて、誰か謀叛気(むほんぎ)のある大名でも後ろだてになった日には、由比の正雪の二の舞だ、というようなわけでごいしょう。人間も馬鹿じゃいけねえが、そうかといって、あんまりエラ過ぎると危ないでさあ。大弐様なんぞは人物があんまりエラ過ぎて、時勢の方が追いつき兼ねたです、つまり時勢よりも、人物の方がエラ過ぎたというわけで、とうとう首を斬られてしまいなさった。そのくらいだから、近年まで、誰もお墓に参詣するものなざあありゃしやせん、エライ人だということはわかっていても、うっかり参詣なんかしいしょうものなら、悪く睨まれてもつまりやせんからねえ――だが、時勢が、どうも、だんだん大弐様のおっしゃる通りになって行くようなあんばいで、近頃はああやって、徳大寺様のようなお身分の方までが、わざわざお墓詣りに来て下さる――この土地の村々でも、大弐様の書き残した本などを読むものが殖えてきましたよ」
九十八
神尾主膳は、根岸の控屋敷の居間で、顎(あご)をおさえながら、机によりかかって、二日酔いの面(かお)をうつらうつらとさせている。
今日は、好きな字を書いてみる気もなく、例の筆のすさみの思い出日記の筆をとるのもものういと見えて、起きて面を洗ったばかりで、朝餉(あさげ)の膳にも向おうとしないで、こうしてぼんやりと、うつらうつらして机にもたれているところです。
ぼんやりと、うつらうつらして、やや長いこと気抜けの体(てい)でありましたが、そのうちに、さっと二日酔いの面に、興奮の色がちらついたかと見ると、三つの眼が、くるくるっと炎のように舞い出してきました。
神尾主膳には三つの眼があること――これは申すまでもなく、染井の化物屋敷にいた時分に、弁信法師のために授けられた刻印なのです。額の真中を、井戸のはね釣瓶(つるべ)で牡丹餅大(ぼたもちだい)にばっくりと食って取られたそのあとが、相当に癒着しているとはいえ、塗り隠すことも、埋め込むこともできない――親の産み成した両眼のほかに、縦に一つの眼が出来ている。
これが出来て以来、人目にこの面をさらすことができない。いや、それ以前から人前では廃(すた)った面になって、これで内外共に、人外(にんがい)の極(きわ)めつきにされてしまった。
この面を人に会わすことは避けているが、子供は正直だから言う、
「三(み)ツ目(め)錐(ぎり)の殿様」
神尾主膳は興奮のうちにも、三ツ目錐を急所へキリキリと押揉むような、何かしらの痛快を感じたと見えて、額の三眼が、クルクルと炎のように舞い出したのです。
こうなった時は、触るるものみな砕くよりほかはない。傍(かた)えにあればあるものを取って抑えて、むちゃくちゃにその興奮のるつぼへ投げ込むよりほかはない。
お絹という女がいれば、こういう興奮を、忽(たちま)ち取って抑えてぐんにゃりさせてしまう。三ツ目錐の炎を消すには、頽廃(たいはい)しかけたお絹という女の乳白色の手で抑えると、主膳はたあいもなく納まる。そうでなければ酒だ。傍えに酒があれば手当り次第にあおることによって、この興奮を転換させる。転換ということは解消ではない。一時、その興奮を酒に転換させて、方向だけをごまかしてみるだけのもので、酒をあおるほどに、興奮がやがて捲土重来(けんどじゅうらい)して、級数的にかさにかかって来るのは眼に見えるようなもので、そこで例の兇暴無比なる酒乱というやつが暴れ出して来て、颱風以上の暴威を逞(たくま)しうする。
今日は、この場にお絹がいない――酒がない。
お絹は異人館へ泊り込んでいる。
酒類は一切隠されている。使を走らせても、近いところの酒屋では融通が利(き)かないことになっている。主膳は立って荒々しく押入や戸棚をあけて見たけれども、この興奮に応ずる何ものもない。
そこでまた、机の前に坐り直したけれども、どん底からこみ上げて来る本能力をどうすることもできない。三ツの眼が烈しい渇きを訴えて、乳を呑みたがる、真白い乳を呑みたがる。咽喉(のど)の方は咽喉の方で鳴り出して、酒を求めて怒号しているのに、眼は乳を呑みたがっている。
当るを幸い――主膳は机の上の硯(すずり)をとって、発止(はっし)と唐紙(からかみ)へ向って投げつけました。硯の中には宿墨(しゅくぼく)がまだ残っていた――唐紙と、畳に、淋漓(りんり)として墨痕(ぼっこん)が飛ぶ。
九十九
「いや、これは驚きやした、これはまことにおそれやす――屋鳴震動(やなりしんどう)」
と変な声を出して、いま神尾主膳が硯(すずり)を投げ飛ばしたその間から、抜からぬ面(かお)を突き出したのは、例によって、のだいこのような鐚助(びたすけ)(本名金助)という男で、こいつが今日はまた一段と気取って、縮緬(ちりめん)のしきせ羽織をゾロリと肩すべりに着込んで、神尾の居間へぬっぺりと面を突き出したものです。
「鐚助か」
「殿様、いったい何とあそばしたのでげす、我々共がちょっと目をはなしますてえと、これだからおそれやす」
「鐚助、いいところへ来た、今日は朝からむしゃくしゃしてたまらないところだ、面(つら)をだせ、もっとこっちへ面をだせ」
と神尾主膳が、やけに言いますと、金助改め鐚助が、
「この面でげすか、この面が御入用とあれば……」
「そうだ、そうだ、その面をもっと近く、ここへ出せ」
「いけやせん、もともと金公の面なんて面は、出し惜みをするような面じゃがあせんが、それだと申して、殿様のその御権幕の前へ出した日にゃたまりません」
「出さないか」
「出しませんよ、決して出しません、いい気になってつん出した途端を、ぽかり! 鐚助、貴様のは千枚張りだから、このくらい食わしても痛みは感じまい、どうだ、少しはこたえるか、なんぞと来た日にはたまりませんからな。こう見えても、面も身のうちでげす」
「どうだ、びた助、今日は十両やるから、その面をひとつ、思いきりひっぱたかせてくれないか」
「せっかくだが、お断わり申してえ、これで、お絹さまあたりから、びた公や、お前のその頬っぺたをちょっとお貸し、わたしにひとつぶたせておくれでないか、気がむしゃくしゃしてたまらないから、ひとつわたしにぶたせておくれ、てなことをおっしゃられると、ようがすとも、鐚公の面でお宜しかったら、幾つなとおぶちなさい、右が打ちようござんすか、それとも左がお恰好(かっこう)でげすかと、こうして持寄って、たあんとおぶたせ申しても悪くがあせんがねえ、殿様の腕っぷしでやられた日にはたまりませんや、これでも鐚助にとっては、かけがえのねえたった一つの親譲りの面なんでげすからなあ」
「ふん――ちゃちな面だなあ、陣幕や小野川の腕でぶたれたんなら知らぬこと、この尾羽(おば)打枯らした神尾の痩腕(やせうで)が、そんなにこたえるかい、一つぶたせりゃ十両になるんだ、この神尾の痩腕で……」
「どういたしまして、殿様のなんぞは、そりゃどちらかと申せばきゃしゃなお手なんでげすが、何に致せ、もとは鍛えたお手練でいらっしゃる、手練がおありなさるから、たまりませんや」
「は、は、は、わしはあんまり武芸の手練はないぞ、若い時、もう少し手練をして置いたらと思われるが、つい、酒と女の方に手練が廻り過ぎてしまった」
「いや、どういたしまして、何とおっしゃっても、お家柄でございます、殿様のお槍のお手筋などは、御幼少から抜群と、鐚助夙(つと)に承っておりまするでげす」
意外にも神尾は、こののだいこから自分の武芸を推称されたので、少しあまずっぱい心持がしてきました。
百
なるほど、おれは旗本としては、やくざ旗本の標本みたようなものだ。武士としては、箸にも棒にもかからぬのらくら武士だ。
だから、その点に於ては、微塵、人も許さず、自分も許してはいない。武術鍛錬のことなどが、おくびにも周囲の話題に上ったことはないのだが、只今、偶然にも、このおっちょこちょいの口から、武芸のことが飛び出して来た。
それを主膳は小耳にひっかけて、奇妙な気になった途端から、昂奮が少しずつ醒(さ)めてきました。
その気色が緩和された様子を見ると、人の鼻息を見ることに妙を得たびた助は、するすると神尾の間近く進んで来ました。もう打たれる心配も、叩かれるおそれもないと見て取ったのでしょう。果して御機嫌の納まりかけた神尾は、対話になってから、自分ながら事珍しいように、びた助に向ってこんなことを言いかけました――
「なるほど――びた公、貴様に今おだてられて、おれは変な気になったのだがな」
「変な気などにおなりになってはいけやせん、その変な気になりなさるのが、殿様の玉に瑕(きず)なんでげす」
「変な気だといって、どんなに変なんだか貴様にわかるか」
「変な気は変な気でげすよ、変った気色(きしょく)でげすな、いわば正しからざる気分でげしょう、正は変ならず、変は正ならず、変は通ずるの道なり、君子の正道じゃあがあせん」
「くだらないことを言うな、今おれが言った変な気というのは、貴様にいま言われて、なるほどそうだと気がついたのは、おれの家も旗本では武芸鍛錬の家で、おれも子供の時分から相当武芸を仕込まれていたことだよ、ことに槍に於ては、手筋がよくて、師匠からも見込まれたものなんだ、それを貴様、どこで聞いて来た」
「でげしたか。さような真剣な御質問でげすと、鐚助も恐縮――どこで聞いたとおたずねになりましても、よそほかから伺うところもございません、お絹様から伺いやした」
「そうか、あの女は、おれの子供時分からのことを知っている、知らないにしても、人から聞いているだろう」
「まずその如くでげす、大殿様が、あれでなかなか武芸のお仕込みはやかましくていらっしゃったものでげすから、幼少の折より若様へは、みっちり武芸をお仕込みの思召(おぼしめ)しで、ずいぶん厳しかったものなんだそうでございます」
「その通りだ、子供の時分から、いい師匠についてやらせられたのだ、だが、仕込まれた武芸の稽古より、仕込まれない外道(げどう)の稽古の方が面白くなってしまったのが、この身の破滅だよ」
「につきまして、憎いのは、あのお絹様て御しんぞなんでげす」
「どうして」
「憎いじゃがあせんか、肉を食っても足りねえというのが、あの御しんぞなんでげす、憎い女でげす」
「どうして、お絹がそんなに憎い」
「先殿様に、それほど御寵愛(ごちょうあい)を受けておりながら、その若様を、そんなにまで破滅に導いた、その有力な指導者は、つまり、あのお絹様じゃあがあせんか」
「いや、そういうわけでもないよ、あいつだけが悪いのじゃない――」
と言ったが、神尾主膳はここでまた、むらむらと浮かぬ気になりました。
「鐚(びた)!」
本名の金助を、神尾は「金」では分に過ぎるからと言って、鐚と呼んでいる。そう呼ばれて、こいつがまた納まっている――
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底本:「大菩薩峠17」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年8月22日第1刷発行
「大菩薩峠18」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年8月22日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 十」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
「大菩薩峠 十一」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本では、「…何にするつもりか、それはわからんですが、単なる」の後に、改行が入っています。
※疑問点の確認にあたっては、「中里介山全集第十巻」筑摩書房、1971(昭和46)年5月27日発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月15日作成
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