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シリーズ「島を行く」 第一巻 西表島篇

シリーズ「島を行く」 第一巻 西表島篇
パラダイス イリオモテ
作/スマオ 撮影/ソルボー 旅した時期/新暦7月
text/sumao photo/soulbose

最南端の大自然、太陽のパラダイス・西表。
最高にハッピーな海のガイド、まもなく開業。
島で生きる未来に、楽園の扉はひらかれる。

楽園の舞台裏に潜入!その顛末やいかに?

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 兄弟・夕日・恒星・かりゆし・未来


海の扉は開かれた。
迎えに来てくれたソルボーの顔にそう書いてあった。
「やっぱりパラダイスかもしれません」
西表の上原港は見事に晴れ渡っている。この感覚、ひさしぶりだ。
「そう、パラダイス、パラダイス」
ハンドルを握る大柄な兄ちゃんが、高笑いで繰り返す。髭面に銀色のサングラス。見方によってはいささか物騒な人に見えなくもない。
「いいときに来たよ、こっちはごらんのとおり今日から夏さ」
「今日から、ですか?」
「ああ、海の色が違うだろ?」
彼は僕の顔をのぞきこんだ。サングラスをはずすと、意外なほどにやさしい目だ。
「知ってる?沖縄では『いちゃりばちょーでー』という」
出会ったからには兄弟のようなもの・・・人の縁を大切にする沖縄らしい言葉である。
「これ、友達の友達はみな友達だ、という意味なんだよね」
彼は振り向きざまに僕の手を握り、笑って車を加速させた。
この人が、本編の主人公、ノリさんであった。

今回の西表行きは、先日、ソルボーが大阪に来た際、勢いで決まった。
もともと彼は僕の野球仲間で、長く兵庫に住んでいたのだが、さきごろ会社を辞め、石垣島に移り住んだ。そこに根をおろし地元のホームページ制作などを請け負って生計を立てる。いわば「最南端の電脳絵師」である。
その初仕事として、今夏、西表で開業するマリンサービスのホームページを手がける。代表者のノリさんはとにかくいい男で兄貴みたいな存在の人だから、是が非でも八重山一のホームページにしたいと意気込む。
「近々、西表へ取材に行くんです」
開業前のリハーサルとして行う試験運用に潜入し、西表の海を体験してくるという。
「どうです、一緒に来ませんか?」
というわけで、僕は休暇をとってこの島にやってきたのだ。
西表は、石西礁湖と呼ばれる美しい珊瑚の海域に、山のごとくそびえる。八重山諸島で最大の島だ。ヤマネコがすむジャングル、日本では珍しいマングローブの川、マンタも泳ぐ海。八重山の中でも最も魅力的なネイチャーリゾートだといっていい。
リハーサル初日の今日、ソルボーは計画通りノリさんに同行してバラス島というところに行き、初めてシュノーケリングを体験、仕事そっちのけではまってしまったらしい。彼は那覇の出で、誰よりも沖縄を愛する生粋の沖縄人だが、だからこそ海を知らなかった。意外にも、沖縄の人にとって海は酒を飲んで遊ぶところであって、泳いだり潜ったりするところではないらしいのだ。
「海には、案内してくれる人が必要なんですよ」
そのサービスの名は、
『パラダイス・アドベンチャー・クラブ』
略してPAC。西表という楽園をパックにしてご提供します、という筋書きだ。
今回は、パラダイスの舞台裏をたどる旅。そして、はじまりに会う旅である。

ノリさんは僕たちを宿まで送ってくれ、「またあとで」と去っていった。今夜、島の仲間の結婚お披露目大宴会が催され、僕らも参加することになっている。
ひとまずシャワーを浴び、ビールを調達して外へ出た。ふらり歩けば、体は島の時間にとける。
西表の最北にあたるこの辺りは、戦後に開拓された比較的新しい集落で、あちこちにパインの畑がのぞく。折りしも収穫の時、観光とあわせて、島は一年でいちばん忙しい時期を迎えていた。
僕たちは、素朴な小道をぬけて「太陽の村」と呼ばれる海に出た。この辺りの地名は「星砂海岸」とか「月が浜」とか、とってつけたような名前が多い。それは旅人の想像力をかきたて、手招きしているように思える。
しかし、太陽の村の砂浜には、人っこひとりいなかった。僕たちは夕日をはねかえす干潮の海をレンズにおさめ、大の字に寝っころがった。砂はまだ昼間のほてりを残していて、なんとも気持ちよい。
ここでビールをあけてもよかったのだが、この先にさらにすごい夕陽の名所があるというので、ガマンガマンで進むことにした。
しばらく草地を行くと、岬の上に廃屋が見えた。開発に失敗したリゾートホテルか何かの残骸が、そのまま放置されているようだ。ソルボーは勝手知ったるという感じで建物に潜入し、するすると階段を登っていった。おそるおそる後につづくと、眼下にどーんと海が開けた。
「夕日を見に島に来る人もいるそうです」
なるほど。ここはウナリ崎の先端で、右も左も海。波は空と海が交わる彼方からゆっくりと寄せてくる。その洋々とした水鏡を染めて、まさに夕日が沈まんとしている。
「これはすごいことになります」
ソルボーは手すりによじのぼり、待ってましたと三脚を立てた。
しかし、シャッターチャンスを待っているうちに、太陽は水平線に落ちてしまった。その間わずか一分たらず。これほど早く沈むとは思ってもみなかった。
「まだまだ修行が足りんですね・・・」
ひとまず、島に来て最初の夕日は絶景であったと、ここに記しておこう。



僕たちは撮影装備を解き、今夜の会場へ向かった。旅行者向けの洒落たレストランに、貸切に近い状態で席が設けられていた。何人かがソルボーの顔見知りらしく声をかけてくれたが、僕たちはあえて末席に座った。
やがてノリさんが姿をあらわし、総勢三十余名の乾杯となった。
一次会は、ノリさんが主催する「七の会」。毎月七日に島の若手が集まって、ともに学び、未来を語り合う、異業種交流会だ。観光業、ダイビングガイド、給油所経営、飲食店経営、最南端のネットショップ店主、パイン栽培、マンゴー農園、養殖業、牛の種付け師・・・職業は実にさまざま。もともと島の人もいれば、よそから移り住んだ人もいる。その中で、ノリさんは中心的役割を担い、恒星として光をはなっているようだった。
「西表にノリさんあり」
「いや、正しくは、ノリさんに西表あり、さ」
ノリさんは、もともと西表の人ではない。ソルボーと同じく那覇の出で、内地の商社に勤め、時代の先端をはしるビジネスマンだった。タイ駐在の後、東京で一世を風靡した巨大クラブを仕掛けたが、華やかな成功とは裏腹に失われてゆく人間の時間に気づき、一切を捨ててしまった。タイに戻って新しいビジネスを興すつもりだったが、休暇で訪れた西表で「生きていこうと決めた」。
「つまり、よみがえっちゃったんだな、オレは」
この島に生かされた。と、ノリさんはいう。それからひとつひとつ準備を重ね、PAC開業にこぎつけた。今日はノリさんにとっても、感無量の日であったに違いない。

七の会が終わると、ヒデという若者がやってきた。次の店まで僕らを送るため、一滴も飲ませてもらえなかったという。
「それがオレっちの役割っすから」
実は彼もPACのスタッフ。この島で生まれ育ち、西表の海を知り尽くした男だという。狐色の髪に今風の風貌ながら、話すとやけに人なつっこい。「ヒデさん、すまん」と言うと、「サンづけはやめてください」と笑う。
「せっかくだから遠回りして行きましょうね」
車は缶ビールをかかえた旅人二人を乗せて、夜の島をすすんでいった。しかし、感動はない。時折、海の気配がするし、貴重な鳥の鳴き声が聞こえたりもするが、明かりがないため何も見えないのだ。
「だめだ、明るいと強烈にきれいなんですけど・・・」
ヒデは申し訳なさそうに言って、畑の小道に折れた。左手にサトウキビ、右手はパイナップル。いかにも旅行者が好みそうな風景だが、やはり植物の影がつづくばかりである。
「夜の島内観光、失敗」
かわいた笑いとともに車を降りたが、そのときソルボーが歓喜の声をあげた。見ると、澄み渡った空にあまたの星がまたたいている。
「おお、パラダイス」
僕たちは吸い込まれるように空を見上げた。ヒデは「普通なんだけどな」と言いつつも、なんだか誇らしげであった。



結婚の宴ははじまっていた。
「かりゆし、かりゆし」
僕たちはほどよくできあがったノリさんに導かれ、おそれおおくも上座に通された。友達の友達はまた友達ということで、新郎新婦が僕などにも島酒をついでくれ、盛大な乾杯。島で生きる友の大切な人は、はるばる千葉から嫁いできた。今日は島の仲間が増えたお祝いでもあるのだ。
「みんな兄弟よ、披露宴は手作りだけどさ、心は上等よ」
ノリさんは上機嫌。やや乱暴に肩を組み、僕をみんなに紹介してくれる。その度に一杯づつ飲んでゆくから、早くもへろへろの状態だ。
「いやはや、大変な人と友達になっちゃいましたね?」
PACの知恵袋・ウエちゃんが、島酒をついでくれた。
「ま、これも縁ですから、よろしくお願いしますね」
今日何度目かの握手を交わしたところで、カラオケのイントロがかかった。すかさずヒデが指笛を鳴らし、場を盛り上げる。BEGINの「島人ぬ宝」、いま八重山では欠かせない定番の唄だ。
「みなさんの未来に捧げます」
誰かの歌声が輪にとける。気持ちよい夜であった。酔ったソルボーはハブがうごめく星の路上で眠ってしまった。僕は明日海に出ることも忘れて飲み、宴たけなわの頃には「西表、サイコー」と連呼していたようだが、くわしいことはおぼえていない。


 島の朝・風をよむ・バラス・飛行兵器・太陽雨


まぶしさに目醒めた。快晴だ。
「こんなにすんだ天気は八重山に来て初めてです」
ベランダからソルボーが言う。よく見るとすでに水着に着替えているではないか。
「今日はものすごいことになりますよ」
幸い昨夜の酒は残っていない。飛び起きて、朝飯を食った。いい傾向だ。
九時にノリさんが迎えに来て、PACのリハーサル二日目がはじまった。
「どうよ、この空、最高だぜ」
膨らむ期待を乗せて、車は島の道を走る。時折、手をあげて挨拶しながら対向車とすれ違う。左手に青い海、右手に畑。沿道の木や花までつやつやとひかる。
「西表は朝が最高さ」
まったく同感だ。島の一日がはじまる空気をこうして感じられることは、宿泊した者の贅沢だといっていい。
途中、給油所に寄った。ノリさんがクラクションを鳴らすと、中から若い娘が出てきて手を振った。沖縄の美人を絵に描いたら、こういう人になるのだろう。でっかい目で顔いっぱいに笑う様が、太陽に似合う。
「今日はどこへ?」
「海、海」
車は特に給油するでもなく、そのままUターンして通りに戻った。「べっぴんですね?」ときくと、ノリさんは「そうでもないさ」とうれしげに笑う。おそらくは島の看板娘で、ノリさんは彼女を僕らに見せたかったのだろう。

まだ工事中のPAC事務所で、ウエちゃんとヒデが迎えてくれた。
午前中はノリさん自慢のマリンジェットでバラス島に行くことになっている。
今日の海はどうかとたずねると、ヒデはきりりと空を見て、最初はベタ凪だが途中少し波がでる、バラスの周りは静かだが、北の方にはややうねりがあるかもしれないと言った。どうやらヒデは、風を見て海を読むことができるらしい。
「普通だよ、驚くことはないさ」
「いやいや、こいつは普通じゃないさ、立派なウミンチュだよ」
ノリさんは笑ってエンジンをかけ、派手に旋回してから後ろに乗るよう促した。
こいつは「海のハーレー」の異名をとるシロモノで、排気量は自動車なみ、四人乗りで、最高時速は100キロを超える。もはや水上バイクの域ではない。
「風、最高だぜ」
港を滑り出したそれは、ぐんぐんスピードを上げ、あっという間に蒼い海域に出た。目線が低いぶん、海がリアルだ。ヒデの言うとおり徐々に波が出てきて、体が宙に浮いた。その度に僕らは意味不明な雄叫びをあげて、目的の島に近づいていった。
バラス島は、バラスと呼ばれる珊瑚のカケラが寄せ集まってできた小島だ。ひとたび台風が来れば形が変わってしまうようなあやふやな島で、実際、ヒデが子供の頃には二つの島であったという。
そこにはすでに船が何艘か停まり、先客がうじゃうじゃいた。この状態をノリさんは「バラス銀座」と呼んでいる。日帰りツアーの定番スポットになっているらしい。
入ると楽園の海だった。生きた珊瑚の根がぼこぼこあるわけではないが、きらきらした浅瀬を魚の群れがはしり、波打ち際では珊瑚のカケラがカラカラと踊る。
僕はゆっくりと島を一周し、徐々に体を慣らしていった。



はじめて海にふれた日のことを、あなたはおぼえているだろうか。
海のそばで生まれ育ちながらしばらく海から遠ざかっていた僕は、数年前、ここから少し南にある島で、再び海と出会った。珊瑚礁というものに初めて触れた僕は、同じ日本にこんな海があることに驚き、すっかりはまってしまった。
それ以来、いくつもの島で海を見てきた。一口に珊瑚の海といっても実にさまざまで、静かな浅瀬もあれば、いきなり深くなる海もある。おしなべていえるのは、水中から光を返す珊瑚に踊る魚影の中で、自分がひろがってゆく感覚をおぼえるということだ。ある種の不安と背中合わせに訪れる不思議な安堵を、僕はいまだにうまく表現できない。
できれば海に好かれていたい。だから初めてのときのように、少しづつ挨拶してゆく。
今年も来ました。またよろしく、と。

上機嫌で海からあがると、ひとあし先にあがったソルボーが風を見ていた。
「うん、これならいけそうです」
しゃりしゃりとバラス坂を駆け上がり、何やら取り出して空に放った。
「秘密兵器です」
凧であった。箱型のカイトが、晴れた空に飛んでいる。しかし、こんなところでわざわざ凧揚げをはじめる男もめずらしい。
「まあ、見ててください」
ソルボーはほくそえみながら「秘密兵器」を取り出した。手製の金具にゴムでぐるぐる巻きにしてカメラが固定してある。こいつを自動撮影に設定し、凧と一緒に空にあげるという。風の力を利用して、この島を空から撮影しようというわけだ。
「ホームページのトップに載せる写真はこれにします」
僕は凧紐を奪って、バラスの頂上に立った。南西の風、ひきはかなり強い。
ところが、カメラは意外に重く、ひとたび宙に浮くものの、あとすこしのところでへなへなと地上に降りてくる。その度に僕らは足場の悪いバラス台地をしゃりしゃりと走り、汗だくになってトライを重ねた。
やがて周囲がどよめきはじめた。なんだなんだと集まってきた海水浴客が見物しているのだ。しかし、今のところ撮れているのは何だかわからない珊瑚のカケラばかりだ。
「ここらでいかんとまずいすね・・・」
そのとき、風がきた。カメラは僕の手をはなれ、ついに空へと舞い上がった。
「いける、いける」
バラス銀座にまきおこる拍手が、怒涛の一枚を予感させた。
しかし、結局、奇跡の風は吹かず、島の全景はおろか海を写すことすらできなかった。



上原の波止場に戻る途中、ノリさんが「雨が来る」と言った。空はからりと晴れ渡っているが、西表の山に黒い雲がある。ここで雨が生まれ、海を渡ってゆくのだ。
昨日の昼は近くの浜でビーチパーティーよろしく千人鍋冷やしそうめんをやったそうだが、今日は波止場の食堂で食べる。しばしばテレビでも紹介されるという評判の店で、海人のオジィとかわいらいいオバァが、一日三十食限定でそばを出す。
服がまだ乾いていない僕たちは、店先に陣取った。要は道端で食べるようなものだが、そこは海を見渡す涼しい風の通り道。これ以上の特等席はない。
運ばれてきたのは「食っても食っても減らない危険な大盛そば」で、いける。もれなくついてくる盛り合わせ皿も、刺身とスーナ(海草)と完熟パインという奇妙なとりあわせながら、まことに美味い。
僕らがあまりにうまいうまいと言うので、オジィは鋭いカマを取り出して、パイナップルを切ってふるまってくれた。これまた甘くて美味い。幸福である。
「もう、帰りたくないですね」
ここ数日、真っ黒になって西表の陸海空を駆け巡ったソルボーは、午後の船で石垣に帰る。石垣牛を売るサイトの公開が間近に迫っているため、今夜から追い込みだそうだ。あたりまえのことだが、今はこちらが生活の基盤なのだ。
ソルボーが郷里の那覇ではなく石垣に住むときいたとき、僕はすくなからず驚いた。沖縄社会では那覇と石垣は思いのほか距離があるし、本人も一度も行ったことのない土地だったからだ。まさにゼロからのスタート。彼を導いた僕らの仲間も、今はもう島にいない。それでも出会った人々にたすけられ、どうにか半年が過ぎた。大変なこともあるにはあるが、やはりこの地を選んで良かったという。
「なんだか、元気になるんです」
やがて、雨が降り出した。ぽつりと頬に当たったそれは、瞬く間に本降りになった。ところが降っているのはここだけで、港も海もまぶしい晴天につつまれている。
「太陽雨(ティダアミ)どー」
きらきらと光をたくわえた雨粒は、島人にも旅人にもあまねく降りそそぐ。
ここは沖縄、日本のいちばん南である。


 サメ・えずけ・コーラルウェイ・いい気分・ダイブ


旅はまだつづく。
午後は石垣からやってきた昨日の客人の船に乗せてもらうことになった。船の舳先にヒデがスタンバイし、ウエちゃんも大荷物で乗りこんだ。僕は半分お客で半分スタッフというなんとも中途半端な位置づけである。
今日のお客さんは四人。「福岡モデル軍団」とソルボーが命名した通り今風ビキニの若い女性三人と、その母上という構成。いずれも海は初体験だったらしく、昨日の興奮さめやらぬまま「今日も来てしまった」らしい。
「今日はもっと『すごいことになる』んでしょ?」
「もちろん、最高さ」
上ちゃんがノリさん口調を真似て笑いが起こる。和やかなムードの中、それぞれが甲板に思い思いに陣取って、夢のクルージングがスタートした。
僕はこの船を「サメ」と名づけた。めったやたらと速いからだ。港を出るとまたたく間にバラス島をこえ、向かってくる波をもろともせず、時速100キロでかっとんでいく。
「がはは、安全運転、心配無用」
サメ号のオーナーは、九州一円で事業を繰り広げる会社の社長さんで、とにかく豪快な人であった。八重山の海に魅せられて船を持ち、休日はこうして自ら舵を取る。遠くを見やるしぐさが、いつか見た映画のようにかっちょいい。
鳩間島が近づくと、サメ社長はスピードをゆるめた。舳先にさっそうと立つヒデが、海底にそびえる珊瑚の根をよけながら進路を導く。行く手ではノリさんがポイントを示すようにぐるぐる旋回している。海がますます輝きを増した頃、船は港の手前で停止した。
「下地君(ヒデのこと)、たのむ」
甲板からアンカーが投げられ、すかさずヒデが飛び込んだ。素潜りで錨を海底にかけてくるのが役目だ。ほどなくヒデは水面に顔を出し、両手で大きく丸をつくった。
「よーし、野郎ども、泳げー!」
サメ社長の掛け声とともに、待ちかねたモデル軍団がわっと飛び込んだ。お母さんも入念にライフジャケットをたしかめて海に入り、それについてノリさん達も行ってしまった。
てっきり社長も一緒に泳ぐのかと思っていたが、煙草に火をつけて海を見ている。不思議に思ってきくと、「今日は運転手さ」と笑った。
「ほら、キミも泳ぎなさい、素晴らしい海だぞ」
言われて入ると、おだやかな海であった。

海からあがると、船上でウエちゃんが汗だくになっていた。
「はいはい、たくさん食べてくださいね」
クーラーボックスをまな板がわりに、器用にマンゴーをむいてゆく。事実上、皿は必要ない。モデル軍団がウエちゃんの前に陣取って待ちかまえているからだ。
「えへ、私も餌付けされた」
その一言に気をよくしたウエちゃんは、どんどん新しいマンゴーを出した。乗船するときの大荷物は、実はこれだったのだ。
「海の上で食べるのが最高さ、これも西表の味さね」
和やかなムードで船が出た。サメ号はまた風のごときスピードで青い海を駆けてゆく。
めざすはノリさんが八重山で一番だと豪語するポイント。「コーラル・ウェイ」と名づけた。珊瑚の道という意味だ。
今のところそこへ案内してくれるサービスはない。この辺りは珊瑚が複雑に入りこみ、下手をすると船が座礁してしまう。しかし、幸運にもベタ凪と満潮が重なった。このぶんだと何とか行けるかもしれない。おのずと期待は高まる。
先回りしたノリさんからOKサインが出ると、サメ号は急に減速した。再びヒデが舳先に立って、まるで海の中がわかるみたいに船を誘導してゆく。
と、モデル軍団の一人が歓喜の声をあげた。すぐ左手に巨大な根。水面からもわかるほどの珊瑚だ。船はすれすれの状態でそいつをすりぬけ、手品のように停止した。
「よぅし、アンカーをたのむ」
その声にはじかれたように、ヒデが飛び込む。今度は僕も一緒に飛び込んだ。
ところが、海に入るとたちまち心を奪われた。まさに、コーラル・ウェイ。どこまでもテーブル珊瑚。今まで見たこともない大群落だ。
やがて、ヒデが親指でGOサインを出しながら浮上してきた。身をひるがえしてロープの先をたどると、僕の力では潜るのがやっとの深さに、わずかに珊瑚が途切れた岩場を見つけ、がっしりと錨がかけてあった。
ほどなく、ライフジャケットを着けた女性陣が次々と入ってくるのが見えた。おそらくこの海に驚き、なかば黄色い声をあげながら無我夢中で進んでいったことだろう。
僕は所々で小さく潜りながら、あたりをゆっくり見てまわった。テーブル珊瑚の下にはたいてい黄色い線の入ったタイがかくれていて、そいつを追うのに夢中になった。
ヒデは海底にシャコ貝か何かを見つけたらしく、何度も強烈なダイブを繰り返していた。無駄のない動きは、やはりタダモノではない。
しばらくして船の近くに戻ると、目の前におかしなものが現れた。後ろからやってきた魚がそれに喰いつき、するりと天にもっていかれた。水面から顔を出して見ると、釣竿を持った社長が笑っていた。
「すまんすまん、エイグァー(アイゴ)を狙ってるんだが、あやうくキミを釣るところだった」
そしてまた竿を投げる。すぐかかる。ずっとこの調子で入れ食いの状態だが、なぜか食えない魚ばかり。その度にすまんすまんと逃がしてやるので、釣果はまだミーバイ一匹だけだという。
「まぁ、こういう日もあるな」
社長は豪快に笑うのであった。



船の上では、ウエちゃんが今度はスイカを切って、海からあがってきた客にふるまっていた。僕もひと切れもらってかぶりつく。ちょっと塩味がきいていい感じだ。
「海、最高だったろ?」
ノリさんが子供のようにきいてくる。きっと誰もがうなづいたに違いない。
ところが、甲板でモデル軍団の一人がひっくり返っていた。さっきまで大はしゃぎだったお母さんもグロッキー気味だ。どうやら船酔いしてしまったようだ。
たいしたことはなさそうだが、このままにしておくのもやばい。僕たちは次に予定していたエダ珊瑚群落を断念し、急遽、バラス島に上陸することになった。
昼間はあれほどにぎわっていたバラス島も、今は静まり返っている。日帰り客は夕方までひいてしまうようだ。ここでしばらく横になっていれば、すぐに気分も良くなるだろう。
ウエちゃんとヒデが競り合うように泳いでいってバラスの上にテントを立て、ノリさんがうなだれた二人をジェットで渡してあげた。
操舵席からそれを見ていた社長は、「よかよか、今日はよか」と笑った。
「この時代、ああいう男がいてもいい、キミもそう思わんかね?」
どうやら今日のテスト客を連れてきたのは、この社長であるらしい。ノリさんの船・PAC号はまだ届いていないから、それならと自分の船まで出した。おまけに、これからしばらくこっちに滞在するつもりだそうだ。
「あの男が事業をするというもんだから、わしもできることはやろうと思ってね」
「そんなに休んで大丈夫なんですか?」
「なぁに、わしがいなくても会社はまわるよ」
社長は空を見上げて、再びがははと笑った。
「それより、わしは久しぶりにいい気分なんだ」

一時間後、二人はすっかり元気になって船に戻ってきた。
帰りは海のハーレー対サメの競争となった。海を突っ切る高速サメに対し、ノリさんは後ろに一人乗せながら本気になって戦いを挑む。抜きつ抜かれつの勝負は互角のまま港に入り、誰かが見つけた虹で両者勝利の判定となった。
「ありがと、来年また来るね」
PAC初のお客さんは、このまま宿泊先である石垣島へ戻る。握手を交わすと、ノリさんはややじんときた様子だった。
「では諸君、また会おう」
社長はまたがははと笑って、ゆっくりと船を出した。みんなが船のうしろで手を振った。PACの三勇士も、桟橋にならんで手を振る。僕はその後ろにまわりこんで、ソルボーの代打でシャッターを切った。
「いきますか?」
いきなりヒデが言った。ノリさんとウエちゃんは顔を見合わせて、にっこり笑った。
「さん」
「にぃ」
「いちっ!」
三人がいっせいに飛んだ。派手にあがる水飛沫。わけがわからないまま、僕も飛び込んでいた。そして海の中から、力のかぎり手を降った。
「また来いよー!」
八重山では、港に飛び込むことが、最高の見送りの表現とされる。
PAC最初のダイブは、素晴らしいダイブであった。



 ラブ&ピース・カーチャン・招かざる客・海の扉・天の道


海からあがった僕たちを待っていたのは、後片づけであった。
「ま、これが現実さね」
僕たちは疲れた体をふるいたたせて、浜辺のテントをたたみ、大きなバナナボートを陸に揚げた。シュノーケリング道具やライフジャケットは真水に浸して干し、人間もついでにホースで水をかぶって潮抜き。パラダイスも楽ではない。
「アバウトな俺たちにはきついね・・・」
最後に海のハーレーを車で引っ張り上げた。いったん事務所の前まで移動させ、エンジンをかけながら中の海水を抜いて、真水で丁寧に洗ってゆく。こういう手入れを毎回やればマシンは何年でももつが、ひとたび怠ると半年でだめになる。海の男は手を抜くな、マリンジェット歴二十年のノリさんの教訓である。
僕たちのまわりには、二匹の子犬が走りまわる。一匹がラブで、もう一匹がピース。あわせてラブ&ピース。いかにもノリさんが考えそうなことだ。
島の仲間がかわるがわるやってきて、今日はどうだったかと声をかけてくれた。その度にノリさんは、親指を突き出して「最高さ」とやってみせた。
やがて給油所の看板娘が姿をあらわし、堤防越しにノリさんに声をかけた。
「今日、どうだった?」
「見ての通り、困ってるさ」
「困ってる?」
「この大阪の兄さんが、おまえのことを美人だ美人だってうるさいんだよ、困った客さ」
ノリさんが言うと、看板娘はにっこり笑って僕に頭をさげた。
「あれ、俺の愛するカーチャンさ」
なんと、島の看板娘はノリさんの奥様だったのである。

「悪いけど、今夜は休みましょうね」
二日分の後片づけを終えた僕たちは、へとへとになって帰途についた。さすがの僕も今から飲んだくれる元気はない。
ところが、親川スーパーの手前で、携帯電話がノリさんを呼んだ。最初は腑に落ちない様子のノリさんだったが、いきなり歓喜の声をあげた。
どうやら、一年前に石垣の酒場で知り合った東京のご夫婦が、ノリさんをたずねてきたらしい。何の手がかりもなしにこの広い西表島をさがし歩いて、お家までたどりついたという。
「悪いけど、今夜は俺の家でとことん飲みましょうね」
ノリさんはやおら元気になって宣言した。
「言ったろ?沖縄では『いちゃりばちょーでー』さ」
友、遠方より来たるあり。それは僕の友でもあるようだ。

シャワーを浴びて宿の夕飯を食べ、ノリさんのお家に向かった。
美人カーチャンの手料理がならぶテーブルをかこんで、宴はすでに始まっていた。初めてのお宅にお邪魔するのだからと僕はわざわざ靴下をはいて行ったのだが、友達の家に来るのに靴下なんかはいてくるやつがあるかとみんなが笑うのであった。
「それでは、我々の未来に、乾杯!」
噂の珍客は、サッカー選手のベッカムに似たユウさんと、大きな瞳が印象的なマイさん。ふだんは東京で小料理屋を営んでいるが、年に一度だけ休暇をとって、こうして西表にやってくる。今回は、東部の秘境でキャンプした後、ノリさん探しに乗り出した。お二人にとって、この再会はまさしく奇跡であった。
けれど、感動の宴のはずが、座はいつしかPACリハーサル反省会になっていた。ウエちゃんが今日の港ダイブについて、熱く語っていたからだ。
「あれいいね、PACの定番にしよう」
ウエちゃんは、もともと経営のプロであって、ノリさんのようにジェットを操るわけではないし、ヒデのように風を読んだり潜ったりできるわけでもない。それでもソルボーは「PACに最も必要な人」だという。
昨日、バラス島で初めて海に触れたソルボーは、輝く渚でなすすべもなく立ちつくしていた。喜び勇んで海に入ったものの、マスクはくもるし、ごぼごぼ海水を飲んでしまうし、体制を立て直そうにもうまく立つことすらできない。途方に暮れていたところにウエちゃんがやってきて、一から教えてくれた。言われた通りにやると、うそのように楽に泳げるではないか。そしていくらか余裕が出てきた頃、水中でVサインするウエちゃんに気づいた。ずっと見守っていてくれていたのだ。
「海の扉を開く男、ってどうでしょう?」
「何それ?」
「キャッチフレーズですよ」
「いいね、メモっとこう」
自分の役割は、多くの人に海を感じてもらうことだ。海の素晴らしさを知った人は、また来てくれるし、きっとこの島の海を守ってくれる。ウエちゃんはそういって熱弁をしめくくった。
「そうだ、ユウちゃん、明日は俺が海に案内してやるよ」
ノリさんが思いついたように言った。ユウさん夫婦は西表の森や生き物についてはかなりの通だが、海は専門外であるらしい。
「PACのお客さんは、やっぱり初めての人だからよ」
高速船の発達とともに、西表に来る人は増えた。けれど、その多くは日帰りで、島に滞在するわけではない。もちろんそれ自体は悪いことではないが、できれば「次はこの島で泊まろう」と思ってもらいたいと、ノリさんはいう。
「オレの愛する場所だからな」
「あがー、またはじまったよ・・・」
みんなが酔っ払って、ややロマンチックになっていた。夢をさかなに飲む夜であった。

宴は十二時にはねて、ノリさんが僕たち三人を宿まで送ってくれた。
部屋に帰ろうとすると、マイさんが思い出したように言った。
「これからヤシガニ見に行きません?」
というわけで、僕たちは再びノリさんちの前までひきかえし、月明かりの道をさらに先へと進むのであった。
ヤシガニというのはオオヤドカリの一種で、このあたりの島々に生息する、陸上最大の甲殻類である。青紫色したおどろおどろしい姿を図鑑で見たことがあるが、カニともエビともいえないおかしな生き物だ。ユウさんは「実際に見たらもっとおもしろい」という。
「毎年ここらの道端で何匹か見かけるんです」
ところが、行けども行けどもそれらしい影すら見えず、赤い月が沈んだところで、僕らは地べたにへたりこんだ。
「今年はダメだったか・・・」
「それもいいんじゃない?」
しかし、帰り道、ユウさんの懐中電灯が、茂みの中にヤシガニをとらえた。興奮してのぞきこむと、そいつはカサカサと動く。想像していたより小ぶりだが、図鑑で見た通りの姿だった。
「よかった、やっぱりいるんだ」
僕たちは手をたたき合い、道の真ん中に腰をおろした。
「あそこにも道、みっけ」
見上げれば、昨日にも増して満天の星。まさに降ってきそうな勢いだ。そのちょうど真ん中、僕たちが歩いてきた道の上に、天の川がよこたわる。
「私たち、いま、世界でいちばんいい所にいるんじゃない?」
僕らの後に道はできる。明日も晴れに違いない。


 リハーサル・青い彼方・レスキュー・帽子・パラダイス


あわただしく朝がきた。隣の倉庫では、収穫されたパインの箱詰めがはじまっている。
またも快晴。空はますます透明度を増したようだ。
本日、いよいよノリさんの船がくる。PAC号としてこれからお客さんを運ぶ新しいボートだ。ノリさんはその引渡しを終えてから、まさにノリノリで迎えに来てくれた。
「海、最高だぜ」
この台詞で、今日も西表の一日がはじまる。
途中、ノリさんは草野原に車を停めた。そこは小高い丘になっていて、青い海の先にバラス島や鳩間島を見渡すことができる絶好のロケイション。先日、この土地を買った。いつか宿を建てるという。
夢は確実にひろがっているのだ。

事務所で着替えて波止場に出ると、全身黒いウエットスーツに銀のサングラスで決めたキャプテン・ノリが待っていた。
「見違えた、かっこいいっす」
「あたりまえよ、身内でも本番だと思っていくからね」
急遽決まったPAC三日目は、リハーサルの集大成。昨日船で行ったコースを、今度はジェットだけでたどる。この二日間で得たチェック事項を再確認しながら、生きたマニュアルを書き換えてゆく作業でもある。
「えー、ご存知とは思いますが、私が本日みなさんをご案内するノリさんです」
まずは自己紹介。最初に打ち解けて、何でも相談しやすい関係をつくっておく。これで成否の半分が決まる。昨日までついつい忘れてしまっていた項目だ。
「つづいてスタッフ。こちらが『海の扉を開く男』ウエちゃん、とにかく熱い男です」
ウエちゃんが照れながら一礼すると、マイさんがパチパチと盛り上げる。
「で、こっちがチーフ・インストラクターのヒデ、海のことなら何でもきいてください」
ヒデは指を二本立てて額にあて、いつものポーズで決めてみせた。
「でも今日は二人とも海に出ず、事務所の荷物運びとかペンキ塗りとかやってます」
ややずっこけながらも、口上はつづく。
「パラダイス・アドベンチャー・クラブ、略してPACと名づけました。西表を愛する私たちが、でっかい休日へご案内します。みなさんの『パラダイス』を見つけていただけたら、最高にハッピーだと思います」
決まった。日本一!
「実は昨夜あれから練習したんだよね・・・」
ノリさんは頭をかきながらエンジンをかけた。海のハーレーは今日も元気だ。
「さあ、乗った、今日はオレもノってるからちょっと揺れるぜ」
キャプテンは上機嫌でアクセルをふかした。



バラス島に渡った僕たちは、ビキニ客であふれる「バラス銀座」をかきわけるように泳いで、上原港に戻ってきた。昨日は気づかなかったが、バラス島は少し離れると枝珊瑚スポットやそこそこ深いところがあって、なるほど初心者から通まで楽しめる場所であった。
昼はまた波止場の食堂で大盛そばを食い、近くの商店で麦茶と島バナナを仕入れて午後にそなえた。
午後は再びジェットに乗って鳩間島へ。昨日と同じ防波堤の西側に着け、今度は浜に降りてみた。素朴なビーチに人の姿はない。海は昨日に増して輝き、いちめん見事なエメラルド・グリーンだ。
「こんな綺麗な海、初めて見た」
「うん、楽園かもしれない」
後でわかったことだが、ここはイトマ浜というところで、鳩間で滞在する人もまずここでは泳がない。静かで美しい砂浜だが、浜に降りる道がわかりにくいため、穴場なのだ。
しばらく浜で寝っころがった後、ユウさんとマイさんは新しいTシャツに着替えて集落へ散歩に行ってしまった。ノリさんと僕は海に残り、ぎらぎら照りつける太陽を浴びながら、大の字になって波に浮いているのであった。
「あー、最高だね」
ノリさんはやはりこれ。聞いていると、こっちまで笑いがこみあげてくる。
「PACって『最高』を売る商売ですね?」
「おうよ、これから俺っちはもっとハッピーになるよ」
ところが、思わぬアクシデントが待っていた。沖に出ようとしたら、海のハーレーのエンジンがかからないのだ。
「おかしいな・・・」
ひょっとしてプラグに潮水が入ったのだろうか。四苦八苦して交換してみるが、やはりダメ。どうやら電気系統の故障のようだ。
潮が満ちてくるにしたがって波はどんどん荒くなり、修理もままならない状態になった。
すっかり途方に暮れたところに、散歩の二人が戻ってきた。
「実はとてもやばいことになってるんだ・・・」
ノリさんは申し訳なさそうに言ったが、マイさんは笑っていた。
「でも、まだ知り合いの時でよかったんじゃない?」
「そうだよ、失敗は財産」
ユウさんの言葉に、ノリさんもようやく笑顔になった。くよくよ考えても仕方がない。今後は万全を尽くし、対処法を準備しておけばいい。あとは予期せぬ出来事を楽しめるかどうかだ。
ほどなく、沖から爆音が響いてきた。緊急事態の報を受け、ヒデが小型ジェットで飛んできてくれたのだ。いつもの二本指敬礼に笑顔がのぞく。やはり頼れる男なのである。
「遅いぞー、レスキュー隊」
「なんだ、へこんでるかと思ったら、妙に元気だね」
二人づつピストン輸送することになり、まずユウさん夫婦を乗せて、ヒデは西表へと引き返していった。
メンテナンスの船にも連絡がついた。運良くこの近くにいるらしく、海のハーレーを引いていってくれることになった。
僕たちはひと安心して、ビール代わりに麦茶で乾杯した。
「最高の教訓だね、これは」
ここへ来る人の多くは、ノリさんがそうだったように、疲れを癒しにやってくる。大切な休日だ。それをあずかることがどういうことか、ノリさんは修理する間、そのことばかり考えていた。そして、いつになく焦っていたという。
「この三日間、教えられてばかりだったさ」
ノリさんは小さく笑った。それが収穫だったと思いたい。
やがて、ヒデが戻ってきて、ノリさんと運転をかわった。ヒデはこのまま残って、海のハーレーと一緒に船に牽引されて帰る。ここで、お別れだ。
「いろいろありがとう」
「やだなぁ、きっとまた会うでしょ?」
ヒデは人なつっこく笑って、僕の手を握りしめた。
「帰り、気をつけて、海、かなり荒れてるさ」
「おうよ」
ノリさんの背中につかまって僕は鳩間を後にした。青い水域で強風に帽子を飛ばされたが、不思議と気にはならなかった。



上原の波止場に着くと、ウエちゃんが軽四でスタンバイしていた。
「早く早く」
船の時間が迫っている。大荒れの海でノリさんがいちいち珊瑚のポイントを案内してくれたため、思いのほか時間を要してしまったようだ。
今日までのお礼を言うと、ウエちゃんは額の汗をふきふき言った。
「僕らには『ありがとう』が勲章さね、大事にしますね」
水着のままで荷物を持ち、給油所のカーチャンに挨拶して、港へ向かった。僕はユウさん夫婦と一緒に島を出る。長いようで短かった今年の西表も終わるのだ。
「今日は手を振らないぜ、飛び込みもしない、次にとっておくよ」
ノリさんは港で僕の手を握り、子供のように笑った。
こういうあわただしい別れの方が、なんとなくいいような気がする。
「西表はやっぱりパラダイスでした」
「いや、この世にパラダイスなんてないよ」
一瞬戸惑ってノリさんを見ると、
「パラダイスは、ここ」
と、自分の胸に親指を押し当てた。
「・・・なんちゃって」
笑いとともに船は出た。ノリさんは公言どおり、仁王立ちで太陽を見ていた。
いくつもの光が集まって同じ明日に向かう。それがこれから西表の像になってゆくのだと、ぼんやり思う僕であった。



あれから一ヶ月が過ぎた。
こうしている間にも、海は干満を繰り返し、島はゆったりと時を刻む。あなたが西表を訪れる頃には、島はまたひとつ輝きを増していることだろう。

ひととおり開業準備をおえたノリさんは、一風かわった旅に出た。海のハーレーに燃料の入ったポリタンクを積んで、どこまで行けるか試す。石垣島を一周し、六時間かけて八重山の島々を渡り歩いた。海の上から大阪まで電話をくれ、興奮気味にこう言った。
「最高だぜ」

石垣のソルボーは、自分のマスクとフィンを買ってしまった。巨大な凧まで仕入れ、今度こそバラスの全景写真を撮ると、ますますやる気だ。八重山一のホームページを見れる日も、そう遠くはないだろう。

真っ黒になって大阪に帰ってきた僕は、スーツ姿で街をはしる日常に戻った。うまくいかないことも少なくないが、ノリさんに負けないよう、自分のいる場所をパラダイスにしていこうと思いはじめている。

パラダイス・アドベンチャー・クラブ、南の島に、まもなく開業。
その行く手に、良い風が吹きますように。

パラダイスイリオモテ 了

今回のBGM
南ぬ風人まーちゃん「パラダイス西表」
ジョニー宜野湾「パラダイス」
BEGIN「島人ぬ宝」



ありがとうございました。またどこかの島で会いましょう。




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