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シリーズ「島を行く」 第五巻 竹富島篇

シリーズ「島を行く」 第五巻 竹富島篇

竹富島で逢いましょう

作/スマオ 撮影/ソルボー 旅した時期/新暦2月
text/sumao photo/soulbose 

かわした約束は「竹富島で逢いましょう」
安里屋ユンタがまねく、懐かしき里の島。
記憶の日本へ、にわか家族が繰り出した。

やがて春。うつぐみの島を散歩人がゆく。

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 約束・鎮守の樹・ラクダ・ある再会・いい男


そこに、大きな樹がある。
樹の下に、ひとりまたひとりとやってきて、やがて、村ができた。
竹富という島には、そんな印象がある。
竹富島は、石垣島の西にある周囲九キロの島。 沖縄の原風景を残す島として知られ、一年を通して10万人以上の人が訪れる。 有名な「安里屋ユンタ」はこの島の唄だ。
二月はじめの晴れた日、送迎車を断った僕は、竹富港から歩き出した。
かわした約束は「竹富島で逢いましょう」。
先日知り合った若き建築家とこの島の宿で落ち合うことになっている。 旅をしているといろんなことがあるのだけれど、 行きずりの人と待ち合わせをしたのは初めてだ。 その場所には自分の足でたどり着くのがいいと思った。
ところが、現実はいささか拍子抜け。 集落につづく道は素朴な緑のトンネルときいていたが、すこし前に舗装されたらしい。 整備され原生林の所々にのぞく集落跡もどこか寂しげ。 冬なのに太陽は熱く、荷物も重く感じられた。
やがて、道の真ん中に、大きな樹があらわれた。 その根方にひとりの娘が座って本を読んでいる。
ひとまず挨拶すると、彼女は僕をじろじろ眺めてから、ぺこりと頭を下げた。
「村はまだでしょうか?」
彼女は黙って後ろを指さした。見ると、むかし風のお家が何軒かある。 そこでアスファルトは終わり、素朴な砂道がはじまっている。
「ありがとう」
彼女は黙ってうなづくと、また本を読みはじめた。 これ以上話しかけて欲しくないという感じだった。 たいていの場合、現実なんてこの程度かもしれない。

目当ての宿はすぐに見つかった。思った以上に立派な宿だ。
予約していなかったのでいったん断られたが、なんとか頼み込んで投宿した。 どうしても他の宿ではいけない。そういうやっかいな客にも変わらぬ歓迎があった。
「うちで待ち合わせですか?長いこと宿をやってますが、本当にうれしいお話です」
玄関を入ってすぐの居間に、水彩画が飾ってある。 薄紫の木漏れ日の中で微笑むオバアの姿。おそらく宿泊した誰かが残していったものだろう。 はからずしも良い宿で待ち合わせたものだ。
ところが、約束の主はいなかった。予約の電話も入っていないという。 宿の女将は宿帳をめくってくれたが、それらしい名前はない。
「その人、何か特徴はありませんか?例えば、誰かに似ているとか」
「背が高くて物静かな人で・・・そう、雰囲気はラクダに似てます」
「あいにく、ラクダはよく見たことがありませんので・・・」
考えてみれば、無理もない。 約束したといっても、時間も決まっていなければ、連絡先もきいていないのだ。
「きっとその方はこれから来られるのですよ」
女将は努めて明るく言った。

女将が心あたりをあたってくれるというので、気を取り直して散歩することにした。
集落は観光写真で見るより整然として、息が詰まるほど美しい。 ちりひとつ落ちていない白砂の道。石垣の向こうに見える赤瓦の屋根。庭に咲く花々。 それは人為的なものだが、懐かしさに似た安らぎをくれる。
通りがかった婦人が、安里屋ユンタにうたわれた美女・クヤマのお墓が この先にあると教えてくれ、「それはそれは綺麗な人でした」と 本人を知っているかのような口調で言った。
やがて海に出た。夕日の名所だという。 粗野な桟橋があって、何人か人影が見える。 波ひとつない海は、乳白色の上に鮮やかな朱をたらし、落日を待っていた。 かなり遠浅のようだ。浜はやはり珊瑚のかけらでできていて、 歩くたびにしゃりしゃりと音がした。
しばらく行くと、波打ち際に突き出た岩があった。 そこに腰をおろし、岩の向こうに沈む夕日を眺めた。
「それ、何だかわかる?」
聞き覚えのある声に振り返ると、なんと風子が笑っていた。
「だから、また会うって言ったでしょ?」
おんな寅さん・風子。波照間で出会って一緒に旅した娘で、 写真機を手に一年のほとんどを旅に生きるカワリダネだ。 まさか本当に再会するとは思わなかった。
「それだけ狭い島なんだよ、ここは」
風子はけらけら笑って僕のとなりに座り、大げさに三脚をセットした。
「あれね、ニーラン石っていうんだって」
「ニーラン?」
「そう、海の向こうにある神様の島だよ」
神様は船でやってくる。そしてあの岩に船を結わえておくという。 しかし、そもそもこの浅瀬にどうやって船を入れるのかは謎だ。
「そういや、あんた、待ち人とは会えたの?」
「いや、いなかった、約束なんてこんなもんや」
「その人はきっとこの島のどこかにいるよ、まだ会えないでいるだけさ」
そういうふうにして風子はここまできたのかもしれない。 すべては、ないと思えばそれでおしまいだが、あると思えばさがすことができる。
「写真もさ、半分はめぐりあわせだからね」
結局、いいところで水平線に雲がたちこめ、夕日は雲にのまれた。 風子は夕日の写真をあきらめ、なぜか食べかけのグァバを撮った。

みるみるうちに暗くなり、僕らはあわてて帰途についた。
この島はハブがうようよいると風子におどかされたが、幸い何事もなく集落に戻ることができた。
ところが、そこからが大変だった。 どこを曲がっても同じような景色。まるで巨大な迷路だ。 西も東もわからず、僕らは夜の村を右往左往することになった。
地面から電信柱が生え、電球の灯りが静まり返った村を照らしている。 それは、記録映像で見た昔の大阪のようでも、上海で見た郊外の農村のようでもあった。
なんとか風子の宿にたどり着いて、僕の宿までの道をおしえてもらったが、 一人になるとまた迷った。ほとほとなさけない。
結局、自転車で通りかかった男子中学生にたすけられ、どうにか宿に戻ることができた。
彼は社会科が好きなバドミントン少年で、ややシャイで非常に礼儀正しい男であった。 いつか大阪に来ることがあったら僕が案内してやると言うと、彼はたいそう喜びながらも 「大阪に行くことはありません」ときっぱり言った。
「大きくなってもここにいるのです」

夕食の時間はとっくに終わっていた。 ひとりで食べていると、食堂に関西弁のおっさんがやってきて声をかけてくれた。 僕が集落で迷っていたことを話すと、昼と夜とでは道が違うものだと彼はうれしそうに笑う。
「まぁ、ここにはまだ夜が残っとるちゅうこっちゃ」
この人はもともと兵庫の出だが、仕事で沖縄へ来て、そのままご家族と一緒に住みついた。 一応は宿泊客だが、宿の長男の結婚式のために来ているというから身内の一人といっていい。
今夜は他にも遠方の親類縁者が泊まっているという。 結婚のお祝いは島では一大事。お客をとるどころではなかったようだ。
「あんた、ラクダの人とは会えたんかいな?」
「あれ、そんなことまで知ってるんですか?」
「そや、わしは何でもお見通しや」
待ち人は来なかった。 僕の後にもうひとり飛び込み客があったが、残念ながら女性だった。 女将は島中の民宿に確認してくれたが、結局ラクダ氏の手掛かりさえつかめなかった。
「わしは約束は約束やと思うけどな・・・」
おっさんは頬杖をついて窓の外の夜を見上げた。

ところが、部屋に戻ると、女将があわてて駆け込んできた。
「ごめんなさい、私、うっかりしてたわ」
よく考えてみれば、数日前にたしかに予約の電話を受けていた。 だが、結婚式の準備があるので近くの宿を紹介した。 その宿に確認したところ、どうやらそれらしい男が泊まっているらしい。 今からたずねていって自分の目で確認しなさいとのことだった。
なんだかややこしい展開になってきたが、これもまた旅である。 僕はその宿に乗り込むと、件の客の部屋を教えてもらい、ひとつ深呼吸してノックした。
「あれ、なんでここにいるわけ?」
彼はラクダに似た細い目を丸くした。まぎれもなく若き建築家その人であった。

とにかく乾杯だ。僕たちは島で唯一の居酒屋に入って泡盛をたのんだ。
「なんだ、ラクダよりずっといい男さ」
店のおばちゃんに言われて驚いた。 女将が発した捜索依頼はまたたく間に島を駆け巡ったようだ。 ほろ酔いかげんのお客からも拍手され、ラクダ氏はわけがわからぬまま愛想をふりまいている。
「でも、まさか会えるとは思ってなかったんだよね」
沖縄の古い建物を見ようと東京からやってきたラクダ氏は、 那覇で僕と別れてから首里城を歩き、昨日のうちに竹富島へ入っていた。 それで約束通りあの宿を予約したが断られ、今の宿に落ち着いた。 一応は僕のことをさがしてくれたらしいのだが、 まさか結婚式で忙しいあの宿にもぐりこんでいるとは思わなかった。
「あんたたちの話、映画みたいだね」
おかしな笑いが島の夜にとけた。ほとんど初対面なのになんとなく懐かしい。 たまには約束もしてみるものだ。

夜中まで飲んだ僕たちは、次の日の約束もせずにそれぞれの宿に戻った。
そして、バナナの花の夢をみた。


 ゴロゴロ・建築は思想・心の宝庫・キッテ貝・うつぐみ


翌朝、鶏の声で目がさめた。 あかく染まりゆく空も、バナナの葉が揺れる村の様子も、どこか東南アジアめいている。
おもてに出ると、昨夜の居酒屋のおばちゃんが掃除していた。 むかしからの習慣で、毎朝こうして店の前をほうきで掃く。 みんながそうしているから島はいつもきれいなのだと、 おばちゃんはちょっと誇らしげに笑った。

宿の戻ると朝食がはじまっていた。朝もみんなで一緒に食べる。 この宿は歴史ある宿だが、旅館というより民宿の風情がある。 女将さん一家は、本土復帰の頃、宿を継ぐため島に戻ってきた。 以来、沖縄の家族として客を迎えつづけている。
朝食を終え居間でくつろいでいると、玄関先から関西弁のおっさんが呼んだ。
「おーい、そろそろきよるで」
ほどなく、ゴロゴロときて、ものすごい降りになった。 まさしくバケツをひっくりかえしたような雨。 あたりを真っ白にして屋根を打ち、ごうごうと滝のように落ちてくる。 雨はすぐ白砂に吸い込まれるので道はぬかるみはしないが、 このぶんだと今日はどこへも行けそうにない。
「なぁに、心配ない、ぱーっと降って、ほいっと止みよる」
おっさんはたいして心配していない。これが南の雨なのだ。
やがて、玄関先にもうひとり出てきた。 よく見ると島に来たとき鎮守の樹の下にいた娘だった。彼女も宿泊客だったようだ。
「なぁに、ぱーっと降って、ほいっと止みよる」
おっさんは同じようにおどけて言ったが、 彼女は「そうですか」とだけ言うと、この大雨の中、出かけていった。
「おい、なんやいやな予感せえへんか?」
おっさんは腕組みして言った。 何かを捨てて島に来る者は、不思議と同じ目をしている。 彼女の瞳にはそういう陰りがあるという。例えるなら生きることをやめた目だ。
「まあ、なんもないとええんやがな・・・」
やや物騒な話だが、それが同級生ユリとの出会いだった。
ユリは北関東の花屋さんでアレンジの先生をしていたが、仕事をやめて旅に出た。 あてもなく夜汽車に乗って、二日かけて船で石垣まで渡ってきた。 そして、初めてとどまったのがこの島で、初めて口をきいたのが僕だった。
もっとも、そういうことを知るのはもうすこし先になるのだが。

おっさんの言った通り雨は「ほいっ」と止み、夏を思わせる太陽が顔を出した。 雨に洗われた村はきらきらして、素朴さゆえの美しさがある。
ほどなく、ラクダ氏が近所の子供でも誘いに来るようにやってきて、僕の宿にあがりこんだ。
食堂では、テーブルの上に白布がしかれ、関西弁のおっさんが墨をすっている。 いまから頼まれた旗に字を書くのだという。
「お祭りか何かですか?」
「いや、何度も島に来ると、知り合いも増えるということや」
この島は長寿の島として名高く、お年寄りはみな元気だ。けれど、天寿はくる。 今日は百一歳で他界した島のオバァの野辺送りなのだそうだ。 葬儀の後、旗をかがげて集落を練り歩き、皆であの世に送るという。
おっさんは亡きオバァの笑顔を思い出しながら、見事な字を書き上げた。
「たぶん、泣いても喜んでくれんやろうしな」
雨があがって良かった。旗はお日さまを浴びて笑っているようだった。

僕たちは自転車を借りて出発した。 昨日バイクで島をくまなく周ったラクダ氏が案内役をかってでた。 「まかせなさい」と豪語したものの、たちまち迷って、 僕たちは集落をぐるぐるまわる派目になった。
そうこうしているうちにまた雨が降り出し、僕たちは近くの神社へ逃げ込んだ。
「いや、これは御嶽だよ」
本土風の鳥居があり、波照間で見たものより立派だが、たしかに御嶽だ。 この島にはこのような拝みの聖地がたくさんあるという。
ラクダ氏は僕を木の下に待たせて、辺りの様子を眺めてここまでは入っていいと結論づけた。 奥に石垣で囲われた聖域がある。そこは神様の領域で、島の神職者以外入ることはできない。
「詳しいんですね?」
「いや、建築って思想ですから、見れば何となくわかるだけですよ」
建築は思想。要はその器がどう使われ、どんな営みを表現するか。 彼はこの拝殿のつくりから、空間の意味を読み取ったようだ。
「まあ、方向音痴だけどね」
それでも頼もしいガイドであった。

関西弁のおっさんはこの島を「沖縄の心の宝庫」と表現した。
竹富島は箱庭のような村だ。 集落は国の町なみ保存地区(重要伝統的建造物群保存地区)に指定され、 かつての豊かな村がそのままの姿でそこにある。
家を建てるなら赤瓦屋根、道の白砂は近くの浜から運んでくる。 島には住民が定めた竹富島憲章があり、 「売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす」の五つの理念が、この風景をささえている。
本土資本の土地買収と急速な過疎化の波にさらされながらも、 島が変わらぬ姿をとどめてきたのには、精神的支柱となる人物があった。 上勢頭亨氏は、この島に生まれ、 古い生活用具を集めて家々の伝承を記録することで島の暮らしを体系的に残し、みずから行動した巨人である。
宿の女将の話では、氏はすでに他界されていて今は内地からきたイリムク(入り婿)が、 その遺志を継いでいるとのことだった。僕はその人に会ってみたかった。
上勢頭亨氏が建てた最南端のお寺・喜宝院は、集落のはずれにある。 見かけは普通のお家で、入り口の石垣に「感謝」の文字。 蒐集館なる資料館を併設し、氏が集めた島の民俗資料が展示されている。
刺青の写真に目についた。かつて島の女性は刺青をしたそうだが、 僕の郷里の伊勢で海女さんを海の魔物から護るとされる セーマンやドーマンとそっくりの図柄があった。
ラクダ氏は「ワラサン」という縄文字に見入っている。 人の良さそうな説明員がやってきて、文字のなかった頃のメモだと教えてくれた。 どこの家が米をどれだけ納めたとか、どこの家から玉子を何個わけてもらったとか、 そういう情報を結び目で表現し、一本の藁に記録する。 近所づきあいが重要な貸し借りの社会だからこそ、文字は生まれたのかもしれない。
ラクダ氏が「なんだかカッコイイな」と妙に感心すると、説明員はおだやかに笑った。
「実を言うと私は、これをいちばん見てほしいと思っていたんです」
実はこの人が件のイリムクであった。後に彼の文章を読む機会があったが、 実直な文面にその人となりを推し量ることができた。

午後に雨は上がった。
カイジ浜というところに「星の砂」があるというので行ってみた。 先客はいない。地元の女子高生だろうか ジャージ姿の二人が、エメラルドの海をバックに、砂浜ダッシュを繰り返している。
わざわざ「星砂浜」という立て札があるが、むしろ見たこともない貝殻ばかりが目立つ。
「あれ?これってもしかしてキッテ貝じゃないか?」
ラクダ氏は興奮して言った。見ると、赤みを帯びた巻貝。 すらすら名前を出されると尊敬してしまうのだが、
「ほら、郵便局に、こういう絵の切手があるじゃん?」
ラクダ氏はうれしげに切手貝をひろい歩いた。
ここを訪れた人の多くは、浜に手のひらを押し当てて砂が星の形をしていることに驚く。 だが、歌にもうたわれた星の砂は実は砂ではなく、 珊瑚の海域の藻にくっついて生きる有孔虫の殻で、潮の関係でここに流れ着くらしい。
けれど、切手貝にうつつをぬかした僕たちは、結局、星の砂を見ることはできなかった。

いったん集落に戻った僕らは、一路アイヤル浜をめざした。 なんだかさえない名前だからこそ素朴ないい浜に違いないとふんだからだ。
道はガタゴトの一本道。「ここは春なんだね」と、ラクダ氏は着ていたパーカーを脱ぐ。 行っても行っても同じようなギンネムの林で、かなり遠く感じられた。
僕らの自転車には、水色の蝶たちがひらひらと伴走している。 手をのばせば簡単につかまえることもできる。それほどの大群だ。
「きっと寒い本州からあったかいこっちへ渡ってきたんだ」
ラクダ氏はこれを「アオ蝶一座」と名づけ、至福の表情でペダルをこいだ。
やがて、座長にふさわしい大きな蝶がやってきた。黒地に深い青の紋、まことに美しい。
「うむ、これは世にも珍しいムラサキ蝶に違いない」
実をいうとそいつは世にも珍しいリュウキュウオオムラサキだったのだが、僕らは知るよしもない。
ようやく着いたアイヤル浜は雨で、 僕たちは今来たばかりのギンネム道をせっせとひきかえすことになった。 不思議なもので行きにあれほどいた蝶たちは一匹もいなくなっていた。

小雨の中、集落へ帰ってきた僕たちは、ビジターセンターに到着した。 看板の地図をあらためて見ると、いかに非効率な島散策だったかがわかる。
「いいじゃないか、それなりに楽しかったわけだし」
売店は満員だった。中高年の団体がマイクロバスでどっと押し寄せ、波がひくように去ってゆく。 彼らと同じものを目に入れながら、僕たちはまったく違うものを見てきたのかもしれない。 そう思うとなんだか得した気分だ。
最後のバスが行ってしまうと、しゃぼん玉を吹きながら風子があらわれた。 できすぎだ。風子をラクダ氏に紹介しておきたかったのだ。 風子は明日のフェリーで日本最西端の与那国島へ渡る。 ラクダ氏も同じ予定なので、旅の道連れにちょうどいい。
「へえ、あんたが噂の待ち人か」
風子はラクダ氏の顔をじろじろ見て、
「あんた、ヤギに似てるって言われたことない?」
ラクダ氏は風子のおんな寅さんぶりに「かっこいいな」とか言っていたが、 やつがしゃぼん玉を吹き吹き去ってしまうと、あきれ顔で、
「かなりユニークな人材ですね」
ひきあわせたことを後悔する僕であったが、 予想に反して二人は与那国で天下無敵のデコボココンビとなって、 馬鹿馬鹿しくも愉快な旅をくりひろげることになる。 この話は、いずれどこかですることにしよう。

いったんラクダ氏と別れ、荷物をとりに宿に戻った。 今日は結婚式の前日なので、さっき別の宿をとった。 あいにく女将は留守で、関西弁のおっさんに宿泊代をあずけた。 おっさんは島で散髪したらしく、やけにさっぱりした頭になっていた。
「どや?のんびりできたか?」
おっさんは満足げに目を閉じて、 「かしくさや、うつぐみどぅ、まさりようる」 と、歌うように言った。うつぐみとは島の根底にある共同体意識のことで、 力を合わせるからこそこの島は優れているという意味であるらしい。
「わしはここが好きや、なくなったもんがぎょうさんのこっとる」
おっさんはユイマールとかモヤイとか僕の知らない言葉をならべて、 台風で茅葺き屋根を吹っ飛ばされたら村じゅう力を合わせて修復するような暮らしが、 人間というものの本来だと言った。
「結局、わしらにとっては骨休めに来るところやけどな」
おっさんは念を押すように言って、ちいさく笑った。
「そうそう、やっこさん、ちゃんと帰ってきたで」
食堂にはユリの姿があった。
「わしの取り越し苦労かな、おまえさんはどない思う?」
おっさんはそのまま散歩に出かけてしまった。
僕はユリのところに行って、今夜ラクダ氏と裏の店で飲むから一緒にどうかと誘ってみた。 彼女は初めて微笑んでくれたものの、
「せっかくですが、たぶん、無理だと思います」
と、予想通りのこたえをくれた。



 ブーゲンビリア・卒業旅行・空手・スカウト・予祝


新しい宿はブーゲンビリアが目印。この門を見て、決めた。
今日の宿泊は僕を含めて四名。夕食の席にいくと、すでに一人が座っていた。 僕の父と同世代の男性。この稿では「お父さん」と呼ぶことにする。
「あれ?きみ、お連れのかわいらしい彼女はどうしたんだい?」
かわいらしいかどうかはさておき、風子のことだった。 昨日の夕方、彼もまた浜にいて、僕たちの姿を眺めていたという。
「いや失礼、若い人はいいなと思ってたものでね」
お父さんは長年勤めた会社を定年退職してやってきた。 第二の人生にあたり、かれこれひと月近く沖縄の島々を歩いている。
「サラリーマンの卒業旅行ってところかな」
やがて夕食が運ばれてきた。赤いご飯だが、よく見ると赤飯ではない。 アカマイというお米の祖先みたいな種だとお父さんがおしえてくれた。
「ここは米の島だったってことじゃないかな」
「田んぼは見なかったですけど」
「でも米の島なんだそうだ、だからあじわって食べないとね」
そこでがらりと戸が開いて、のこりの二人が入ってきた。
「あれ?きみたち、今日浜で走ってた・・・」
「あれ見られてたんですか?」
まだあどけない印象の女子大生。なぜ女子大生だとわかったかというと、 ジャージの背中にでかでかと大学名が書かれていたからだ。しかも体育会空手部。
「二人ともまだまだ初心者なんですけど」
この稿では彼女らを、カラテ裕子君、カラテ春菜君と呼ぶ。 カラテ裕子君はボーイッシュでいかにもさっぱりしてそうな感じ。 カラテ春菜君の方は空手よりケーキ作りとか編み物が似合いそうなタイプだ。 いずれも赤いランドセルをしょった女の子がそのまま大きくなったような気持ちよさがある。
「日本にまだこんなところがあったなんて、感激です」
彼女らは後期試験を終え、早朝から空港で空き席待ちをしてやってきた。 地獄の練習がはじまるまでの間、南の島でのんびり英気をやしなうはずが、 誰もいない浜を見てしまうとついついダッシュなどしてしまう。
「ホントはいつもいつも逃げ出したいって泣いてるんですけど」
にぎやかな団欒。家族のような夕食だった。 宿の息子さんが島で養殖しているというクルマエビが、とてつもなくうまかった。

その頃、おんな寅さん風子は、泡盛の三号瓶を片手に、昨日の宿をたずねてくれていた。 ところが、僕は泊まっていない。首をかしげながら仕方なく自分の宿に戻る。
竹富島で逢えないこともときにある。 風子は女将に僕らのことをたずねたのだが、 ラクダ氏を「ヤギに似た人」と表現してしまったことが運命の分かれ目であった。

いい時間になって、僕は二人のカラテ妹を連れて、約束の居酒屋に向かった。 あたりは真っ暗だが、二人はとにかくにぎやかで、お祭りにでも行くような気分だった。
店ではおばちゃんの息子さんが三線を手にスタンバイ。 地元の音楽祭で新人賞をとった腕前を今夜披露してくれる。
すこし遅れてラクダ氏も登場。 二人の空手娘に挨拶され、ラクダ氏はぎこちなく「どうも」と頭をさげた。
そんなこんなで乾杯。おばちゃんのはからいで今夜は幻の酒といわれる泡波。 僕にとっては波照間であびるほど飲んだ銘柄で、 あとの三人は泡盛というだけで旅情を感じることができる幸せなタイプ。 その希少価値を誰もわかっていないところがミソである。
そろそろとばかりに息子さんが三線を手にしたところで、カランと音がしてドアが開いた。
「じゃーん、来てしまいました」
ユリであった。彼女は笑顔で席につくと、不思議がるラクダ氏に対して 「さっき道端で誘われた女です」とおかしな自己紹介をした。 何のことはない。けっこう元気ではないか。
「じゃあ、そろそろいきましょう」
カラテ春菜君にせかされ、息子さんが舞台にあがった。 拍手がおこると、彼はぺこりと頭を下げ、聞き覚えのある曲をかなではじめた。
「あ、安里屋ユンタだ」
この島にはさまざまな唄がある。けれど息子さんは誰でも知っている唄を選んだ。 つまるところそれが沖縄であり、この島なのかもしれない。
手拍子の中、ユリは耳打ちするように、明日からサトウキビ刈りに行くのだと言った。 鎮守の木の下で僕と出会うすこし前、彼女は石垣の港で見知らぬ女性に声をかけられ、 一緒に小浜島に行かないかと誘われた。 自分を見つけるために過酷なサトウキビ収穫作業を手伝う。 いったんは断ったユリだったが、ここにいる間に行く気になったという。
「なんだか機会を逃しちゃいけない気がするんです」
ユリはそう言って笑った。 今思えば、この旅で僕たちが交わしたまともな会話はたったこれだけであった。

安里屋ユンタについて述べる。
八重山というより沖縄を代表するこの唄は、 労働歌から発展した節唄をもとに昭和のはじめにつくられた曲だそうだ。 「マタハリヌツィンダラカヌシャマヨ」という印象的なサビの部分は、 太平洋戦争中に「死んだら神様よ」と替え歌された切ない逸話があるのだが、 実は「まことに愛しい人よ」とひとりの美女をたたえている。
宿の息子さんは元唄の方も歌ってくれたが、 これは島の言葉でつづられたほんまもんの古い民謡で、 僕らの知る新・安里屋ユンタとはぜんぜん別モノだった。
島によって歌詞は異なるようだが、おおむね次のような内容。 絶世の美女・安里屋のクヤマに、 島に来た目差職(助役的存在)役人が現地妻になるよう申し込むが、クヤマはそれを断った。 自尊心を傷つけられた目差職は、必死になって他の美しい娘をものにする。 実は元唄にクヤマがでてくるのは最初のうちだけで、 むしろ役人がクヤマにふられた後の顛末について歌われている。
薩摩の琉球侵攻で重税を強いられた当時の島の暮らしにおいて、 生活を保障された役人の現地妻を断るのはセンセーショナルだったろうし、 ふだんえらそうにしている役人が必死になる姿は滑稽で、 だからこそ労働の中で歌われつづけてきたのだろう。
これがいつの間にか、クヤマは目差職でもその上の与人(村長的存在)でもなく、 わが島の男がいいといったとの美談に改作され、八重山の島々でひろく歌われてきた。 そこに島の理想を見るか、反骨の精神を見出すか、あるいは島のおおらかな一面を感じるか。 いずれにせよ安里屋ユンタは人の手で変わったのだ。
どれが本家だと言うつもりはない。ただ、せっかく島に来たのだから、 実はさまざまな「安里屋ユンタ」があることを知ってもいいように思う。
ちなみに、実際のクヤマは、目差職の申し出を断った後、与人につかえ、 独身のまま島でその生涯を終えている。

ユリが宿に帰ったあとも、宴はにぎやかにつづいた。
息子さんは三線をギターに持ちかえて今風の歌を歌っている。 そこに上機嫌でカラテ姉妹がはりついているため、僕とラクダ氏は男同士で飲むしかない。
「でも、なんだか旅もいいね」
早いもので苦労して出会った道連れとも今夜が最後だ。 ラクダ氏は明日の朝、与那国に発つ。 琉球の建物はどうだったかとたずねると、 沖縄の建物はもういいのだと意外なこたえがかえってきた。
「うまくいえないんだけど、やっぱり自分のを探さないと・・・」
そう言いかけて「・・・ってかっこつけすぎかな?」
ラクダの目が笑う。とても良い夜だ。


 お父さん・たなどぅーい・島の樹・成人式・安里屋ユンタ


白い夜が明けた。庭に出ると、お父さんがテラスで本を開いていた。
「いや、まずいところを見られてしまったな」
照れ笑いでかくす。よく見ると島の歴史の本だ。
「実は予習をしていたんた、ほら、いちおうは父親役だからね」
行き逢えば家族、早起きしてみんなで島を歩こう。お父さんは今朝にそなえて、 昨夜から何度もこの本を見て、どう説明しようか思案してくれたらしい。 にわか家族の早朝散歩は、そういうありがたい約束だった。
「おーい、朝だぞー」
父の声に窓を開けた娘二人は、ものの一分でおもてに飛び出してきて、 「どうしてこんなにすきっと起きられるんだろう」と笑った。
「お父さん、よろしくお願いします」
カラテ春奈君がおどけて言って、にわか家族は朝まだきの村に繰り出した。 空気はぴんとして、頬に気持ちよい。 白い道も朝を迎えてまっさらになったみたいだ。
お父さんは石垣に生えた草みたいなのを指さして「何だかわかるかい?」 妹二人が首を横にふる。これはピーヤシといって、やがて赤い実をつけ、 そいつから島コショウができるという。八重山そばにかけるあれだ。
「身近にあるっていうのがいいね」
僕らが雨宿りした世持御嶽で、お父さんはまた立ち止まり、 毎年ここで行われる種子取祭について教えてくれた。 この島の土壌は田畑には向かない珊瑚質だけれど、 かつて島の人は海を渡って西表島まで通って農業にいそしんできた。 その中でつちかわれた収穫への祈りと感謝が命の唄になるのだという。
「たなどぅーい?」
カラテ裕子君が説明の立て札に目をとめた。国指定の重要無形民俗文化財と書いてある。 種子取祭は島の言葉で「たなどぅーい」と読む。
「どうかしたのかい?」
「いえいえ、たなどぅーい」
その語感がよほど気に入ったらしく、何度も繰り返してはにやにや。 何がおもしろいのかいまひとつ理解しがたいが、まあよしとしよう。

家の前を掃く人と挨拶を交わし、ときに立ち止まっては咲く花々を眺め、僕たちはゆっくり歩いた。 やはり同じところをまわっている感はあったが、それもまた気持ちいい。
小学校の校門のところに、早くから生徒がならんでいた。 その中に先日のバドミントン少年がいたので「ありがとう」と呼んでみる。
「お兄ちゃん、どうして『ありがとう』なの?」
「ああ、こないだ道に迷って、あのガキにたすけてもらったから」
カラテ春奈君は「そっか」とうなずくと「ありがとー!」と叫ぶ。 カラテ裕子君も一緒になって、なぜか「たなどぅーい!」。 バドミントン少年はようやく僕らに気づいて、恥ずかしそうに頭をさげた。
ンブルフの丘を越えて、お父さんが昨日見つけたという秘密のパパイヤを見に行き、 僕たちはいくつかの樹とであった。帰りの坂道で、 カラテ春奈君はでっかいデイゴの樹をしげしげと見上げて「この樹は島の守り神です」と笑った。 よく見ると、もうすぐ咲きそうだ。
「お父さんのおかげです」
「いや、お礼を言うのはこっちの方だ、私もこういう感じ長く忘れていたからね」
お父さんの言葉に、うれしく笑う姉妹であった。

家に帰ってNHKを観ながら朝ごはんを食べた僕らは、誰からとなく庭に出た。
ブーゲンビリアの門の向こうから、安里屋ユンタがきこえてくる。 もちろん新唄。ここは島内をめぐる水牛車観光のコースになっていいるので、 ただでこの唄がきける。旅情を盛り上げるクライマックスの曲だ。
「せっかくだから、もう一泊したらいいのに」
僕は午後の飛行機をおさえた。休みは明日まであるが、ここでま帰るのがいいような気がした。
「ハイ、たなどぅーい」
ごっつい写真機を手にしたカラテ裕子君が、にわか家族の朝を撮る。
「子供の頃って、よくこういう写真撮ったよね」
「そういや、最近こういう写真ないな」
宿の女将さんが紅型という琉装の立派な着物を出してくれ、カラテ春奈君の肩にかけた。 ジャージの上から袖を通せば、琉球のお姫様だ。
「ハイ、たなどぅーい(おそらくハイチーズの意味)」
自転車で通りかかった観光客が、ぜひ一枚撮らせてほしいという。 僕らが勝手に「どうぞどうぞ」とやるので、お姫様はポーズをとるしかない。
「何かのお祝いなんですか?」
春奈君はすっかりその気になって「成人式です」とこたえた。

あわただしく送迎車に乗せられた僕は、別れの挨拶もないままあっけなく宿を出た。
港は人であふれていた。来る客を出迎える人、船を見送る人、そして、出発する人だ。
やってきた船に乗り込むと、旅館の女将の姿があった。 今日はめでたい結婚式。一行は石垣島のホテルで盛大な式を挙げ、新郎新婦を送り出す。 その門出に向け、この船は出発するのだ。
適当な席をみつけて座ると、窓ガラスを叩く音がした。 なんとカラテ春奈君だった。裕子君もお父さんもいる。 さっきの送迎車の運転手さんが、大急ぎで集落に戻って三人を連れてきてくれたのだ。
「ありがとう」
ガラス越しに言った。向こうに声は届かないが、口の動きでわかるはずだ。
「お・げ・ん・き・で」
「が・ん・ば・れ・よ」
「た・な・ど・う・い(?)」
そして、船が出た。にわか家族が港で飛び跳ねるように手をふる。 それはみるみるちいさくなり、船は加速していった。
八重山は花火のようだ。 いくつもの光が集まって束になり、一瞬の閃光を散らせて、自分の場所へと向かう。 ラクダ氏と風子は与那国に発ち、ユリはサトウキビの島をめざす。
僕は出発する。
珊瑚の海はいよいよ青くなった。


*


あれ以来、僕は何度か竹富島をおとずれた。
不思議なものでいつも「竹富島で逢いましょう」という約束があったように思う。 もしかしたらこれを読んでいる人の中にも同じような方がいるかもしれない。
つまるところ、竹富とはそういう島だ。
観光本で「まるでテーマパーク」とのくだりをしばしばみかけるが、 そのたびに僕はなんだか悲しい気持ちになり、 一方で、良い旅を持つことができたことをありがたく思う。

若き建築家・ラクダ氏は、与那国から戻った後、会社を辞めて欧州に行ってしまった。 あの旅でおかしな病に感染したという見方もあるが、ご自分の建築さがしをはじめということだろう。 帰国後、新しい建築事務所の案内をくれたが、それから連絡はない。 けれど彼の設計したものに出会えば、なんとなくわかるような気がするのだ。

カラテな妹、春奈君と裕子君は、小浜と石垣をまわって大阪に帰った。 地獄の特訓を乗り越え、春の大会に初出場。 結果はいずれも判定負けに終ったが、新人勧誘に成果をあげて自分の場所を育てはじめた。 そして二年後、怒涛の近畿大会を突破し、夢の日本武道館で大暴れすることになる。 卒業してからのことは残念ながらわからないが、これを見てひさしぶりに便りをくれたらうれしい。

同級生のユリは、宣言どおり小浜島でサトウキビと格闘し、心の皮をむいて帰ってきた。 半年後、いきなり元気になって僕の前にあらわれ、秋にまた一緒に旅することになった。 そして彼女は島で生き、愛する人と家族を育てた。 遅れてやってきたこの同級生に、僕はいろんなことを教えてもらったと思う。

竹富の集落の手前にあった樹は今はもうない。
けれどもたしかに大きな樹がある。
その樹の下で、いつかあなたと逢いましょう。


竹富島で逢いましょう 了


今回のBGM
BEGIN「竹富島で会いましょう」
長間孝雄アヤメバンド「出逢い」
日出克「拝」


ありがとうございました。またどこかの島で会いましょう。



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